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牟岐町で過ごした一週間の滞在レポート(鈴木アリサ)

【自己紹介】
鈴木 アリサ
東京都出身。
東京の大学に通う4年生。
一般社団法人HLABの一員として2022〜2024年に活動。
2014〜2021年にかけて、牟岐町で行われていたサマースクールをHLABが運営していた縁から、2022年に牟岐町で開催された「SDGsスタディツアー」に携わる。


どこか懐かしさを感じる町、牟岐町

牟岐町で過ごした1週間で最も強く感じたこと。それは、「帰ってきたくなる町」だということだった。

今回、私は2年ぶりに牟岐町を訪れた。大学の友人が牟岐町に深く関わり続けていることもあり、その名前を耳にする機会は多かった。「大学生のうちにもう一度行くぞ!」と密かに決めていたことが、こうして実現したのだ。

前回は、牟岐町と海陽町の自然や食文化を体験しながら学ぶ「スタディーツアー」の運営スタッフとして関わった。一方で今回は、牟岐キャリアサポートのもと、ワーキングホリデー(以下、ワーホリ)の参加者として訪れた。

前回は、町の魅力を外から見て楽しむ機会だった。今回は、地元の方々の日常に少しだけ混ぜていただくことで、よりリアルな牟岐町を知ることができた。

2年前のスタディーツアーの様子。ジビエの解体や炭窯の中に入ることを経験。婦人会の皆さんが作ってくださった、「まぜくり(ちらし寿司)」が絶品だった。

人の温かさ

牟岐町で最も印象に残ったのは、そこに暮らす人々の温かさだった。

モラスコむぎを管理する一般社団法人MUGI OCEAN ACADEMYの木村悠さんにお話を伺った際、偶然、かつて漁師をしていた方2名と出会うことができた。私の祖父ほどの世代のお二人と並んで貝殻の仕分けをしながら、窓越しに広がる海を眺めつつ、昔と今で漁の方法や獲れるものがどう変わったのかを教えてもらった。

初対面なのに、なぜか懐かしさを感じた。その感覚を辿ってみると、幼い頃、祖母や大伯母に遊んでもらいながら、彼女たちの幼少期の話を聞いていた時間に似ていると気づいた。モラスコむぎで過ごしたのはほんの短い時間だったが、お二人はとても気さくで、フラットに接してくださり、私のことを気にかけてくれた。人の純粋な温かさに触れることができること──それこそが、牟岐町の大きな魅力だと思う。

仕分けした貝殻。貝殻が砂浜に打ち上がる量が減った話から、地球温暖化により既存の海産物の漁獲量が減少していることも伺った。地球温暖化の影響をここまで身近に実感する機会は初めてだった。

「故郷」について考えた

ワーホリの業務の一環として、牟岐町出身であり私の同世代の方々と交流する機会も多かった。

例えば、牟岐町駅前で「灯閑」を運営する田中美有さんや、NPO法人ひとつむぎの中山知華さんからお話を伺った。

自分たちの活動に熱い想いを持ち、その気持ちを語る姿はとても輝いていたが、特に印象に残ったのは、彼らが「故郷」である牟岐町と真摯に向き合っていることだった。

なぜそれが印象に残ったのか。おそらく、私自身の「故郷」に対する感覚と関係しているのだと思う。

私は、幼稚園から高校まで私立の一貫校に通っていたため、地元の友達がいたことがない。東京で生まれ育ったが、引っ越しも経験しており、ご近所づきあいもほとんどなかった。そのため、私にとって「自宅のある場所=故郷」という感覚は薄い。家族や友人といったコミュニティこそが、自分にとっての故郷だった。

だからこそ、生まれ育った町に思い入れを持ち、そこを大切にしながら生きている同世代の姿は、とてもまぶしく、憧れを感じた。

ひとつむぎの会議に参加した際の様子。

私の特別な町、牟岐町 

 私は好奇心旺盛なタイプで、新しい場所へ行くのが好きだ。だからこそ、基本的には「何度も訪れる町」というのは少ない。

しかし、牟岐町は違う。

牟岐町は、海と山に囲まれた開放感のある風景と、代々受け継がれてきた食文化があり、そこで暮らす人々が温かい。

都市部は日本も海外もどこか均質化され、どの街も似た景色になりつつある。そんな中で、牟岐町には、他にはない「地域らしさ」がしっかりと息づいている。

牟岐町の人々と交流したことで、その魅力をただ外から眺めるだけでなく、肌で感じることができた。

だからこそ、私はこれからも定期的に牟岐町へ帰ってきたいと思っている。

ここは、私にとって第二の故郷だ。

記事作成
鈴木 アリサ

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