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牟岐の「余白」に飛び込んだウォーターボーイズ | COAs代表 高木裕人


徳島県海部郡牟岐町の青く澄んだ海を舞台に、近年、県内外から多くの若者たちが訪れ、活動の拠点を構えるようになっています。この小さな港町に東京から飛び込んできた一人の大学院生がいます。

一般社団法人COAs(コアズ)の代表理事を務める、高木裕人(たかぎゆうと)さんです。立教大学大学院に在籍しながら、東京のシェアオフィスでコミュニティマネージャーとして働き、さらに非営利型の法人を牽引して牟岐町で「牟岐未来サミット」をサポートするなどその活動は多岐にわたります。

コロナ禍の大学1年時から数え切れないほどの団体を立ち上げてきた彼が、なぜ遠く離れた牟岐の地に惹かれ、この町の「余白」に身を投じたのか。若者の「世界観」を守る盾となり、東京と徳島を循環させるという構想の背景と、今後の展望についてお話を伺いました。

コロナ禍から生まれた「COAs」

ーー本日はよろしくお願いします。高木さんが牟岐町に関わりを持ち始めたのかを聞いていきたいのですが、先ずはどのようにして牟岐町と関わることになったのか?そもそも牟岐町をなぜ知ることになったのかといったことから教えてもらえますか?

高木さん: よろしくお願いします。最初は牟岐町で活動する、NPO法人牟岐町キャリアサポートの大西さんと出会ったところから始まるのですが……その前に軽くCOAs(コアズ)の紹介をしていいですか?

ーーお願いします。

高木さん: 自分が2020年に立教大学のコミュニティ福祉学部に入学したのがすべての始まりなんです。あらゆる社会問題はコミュニティで解決できるというコンセプトがすごく気に入って入ったんですが、当時まさかのコロナ禍で。

ーー2020年というとまさにパンデミックの始まりの年ですね。

高木さん: そうなんです。コミュニティ作りの学部に入ったのに、少なくとも「半年は家を出ちゃダメです」「ずっとオンラインで授業を受けてください」といった状況になってしまって。秋ぐらいになり「せっかくコミュニティ作りのために入ったのに、もう大学1年が終わっちゃうじゃん」って焦りました。そこで10月に自分で学生団体を立ち上げてみようと思い、COAsとは別のコミュニティ団体を立ち上げました。

当時は学生団体を立ち上げる人が珍しくて、「どうやって立ち上げたの?」「一緒にやろうよ」と色んな人から声をかけてもらいました。そこから気付けば、数え切れないくらいの団体を立ち上げてきまして。

ーーええ?数え切れないほどですか。すごい行動力ですね。どうやってそんな数多く立ち上げるのでしょうか?

高木さん: 僕は基本的に1人ではやらないって決めていて、仲間がいるならやるというのをモットーにしているんです。誰かがこういうのをやりたいというのに対して、「じゃあ俺も協力しようか」と乗っかったり。立ち上げるのが好きというよりは、誰かと何かをやっているのが好きなんです。たまたま立ち上げるのが人よりほんのちょっとだけ得意だっただけなんです。

そうして活動する中で少しずつコロナ禍が収まってきた2021年の9月に、オンラインで全国のアクティブな学生をネットワークする団体として「COAs」を立ち上げました。そこからメンバーの要望で高校生向けのキャリア教育のワークショップをやるようになり、徐々に依頼も増えてきました。

自分がやりたかったコミュニティ作りとライフキャリア教育を軸に、2023年1月に一般社団法人として法人化しました。そのタイミングで1年間休学して、本腰を入れて取り組むことにしたんです。

牟岐町との出会い、そして「遊観」の魅力

ーー休学してまで法人化をしたんですね。では、そこからどうやってこの徳島県の牟岐町と繋がっていったのでしょうか?

高木さん: 共通の知人で、人と人をつなげるのがすごく好きな東京都の水道局の職員さんがいるんです。その人から「若者がたくさんいて面白いことをやっている地域があって、そこに面白い人がいるから繋げたい」と、牟岐町の大西さんを紹介してもらいました。ちょうど大西さんが東京に来ていた2024年の1月に初めてお会いしました。

大西さんが理事を務めるNPO法人

ーーそこでなにかピンと来たのでしょうか?

高木さん: 大西さんと話して、激しく共感してしまったんです。僕は若者が描く未来像ややりたいことを「世界観」と呼ぶようにして大事にしているんですが、その一人一人が持っている世界観や自分らしさを発揮させたいという思いを大西さんと共有できて。それを牟岐でやってると聞いて、「じゃあ1回行かせてください!」となりました。

ちょうどその1ヶ月後の2024年2月に、大学の研究で愛媛と高知と香川を1週間回る予定があったんです。徳島だけ行かない予定だったんですが徳島も行きますと、最後の1泊2日を追加して牟岐に来たのが最初です。

ーーすごいフットワークの軽さですね。最初の目的は何か具体的なプロジェクトがあったわけではないのでしょうか?

高木さん: ええ、最初は本当に「一旦行きます」くらいのノリです。大西さんとすごく共感しちゃったんで、やっぱり1回行ってみないと話が進まないなと。

ーー牟岐町を自主的に選び、何かを得ようとしていたのだと思いますが、実際に初めて牟岐に来てみて、どんな印象を持ちましたか?

高木さん: 最初の印象は、大西さんに連れて行ってもらった「屋形船」というお店です。海鮮がすごく美味しくて(笑)。やっぱりご飯が美味しいのは大事だなと。

それと「遊観」にも連れて行ってもらったのですが、遊観の空間感や竜二さんの人柄のことが大好きになっちゃって。あの空間が本当に居心地がいいなと感じました。

自由に表現する事を伝える場所-【遊観】下之坊竜治さん・堀江奈々子さん

ーー遊観は独特の魅力がありますよね。他にも牟岐の環境で惹かれた部分はありますか?

高木さん: 自分は5歳の頃からずっと水泳をやっていて、泳ぐのが好きなんです。高校の時は、映画の『ウォーターボーイズ』に影響されて、シンクロの男版みたいなものをやっていました。プールサイドでダンスしながらいきなり飛び込んで、水中で組体操をして投げたりとか。1公演45分くらい動き続けるんで死にそうになるんですけど(笑)、文化祭で300人くらい集まってくれて、ある種のショー的な演出が好きになりました。だから、海や川がある自然豊かな環境は根本的にすごく好きなんですよね。

ーーなるほど。その原体験があるから、海のある牟岐に自然と馴染めたのかもしれませんね。町全体の印象としてはどうでしたか?

高木さん: もっと真面目な視点で言うと、自分は今大学院で若者の関係人口をテーマに研究しているんですが、そういう意味で牟岐は「地域資源に溢れているな」と感じました。高台ハウスやターンファーム(学生らが牟岐に訪れた時に滞在できる施設の名称)など、こんなに小さな町なのに若者が関われる「余白」がある。これだけ余白がある町は例を見ないというか、そこがすごくいいなという印象でした。

提言から始まった「牟岐未来サミット」

ーーそして、そこからどうやって具体的な活動に結びついていったのでしょうか?

高木さん: 2回目の訪問は飛んで2024年の8月になるんですが、これがお仕事としてのものでした。大西さんがCOAsを信頼して任せてくれて、牟岐で暮らす若者や関係人口を集めて、今後の牟岐のビジョンを作る「牟岐みらい会議」の企画運営をさせてもらったんです。そこから継続的に牟岐でやっていきたいという思いが出てきました。

ーー大西さんの若者にいきなり重要なポジションを任せる思い切りの良さはすごいですよね。

高木さん: 本当にすごいと思います。その後、2024年の10月にまとめた提言書を牟岐町長に提出したんです。その際、COAsはあくまでコーディネーター役だったのですが、大西さんが「裕人の意見も入れてみなよ」と言ってくれて。

ーーそこで高木さんはどんな提案をしたんですか?

高木さん: その時、今回の提言書をまとめるために若者が一度に会した機会がすごく重要だなと思ったんです。今まで点で活動していた若者が集まる機会はなかなかなかったはずなので、「牟岐みらい会議」のような形で総合戦略に合わせて5年間、毎年8月に行いましょうと提言書の最後に入れました。そしたら町長がその場で「いいね、やりたいね」と言ってくださったんです。

ーー20代前半の若者の提言を町長がその場で聞いて「やりたい」ってリアクション、なかなかないことですよね。

高木さん: そうなんです。大西さんもそうですが、一見保守的に見える方に限ってそういう直感を大事にしているというか。保守と攻めのバランスが圧倒的で、若者としてもすごく乗っかりやすい環境を作ってくれています。実際にその1年後の2025年の8月に、第1回の「牟岐未来サミット」を防災をテーマに2泊3日で開催しました。


そして今回牟岐町に訪れているのは、今週の日曜日に実際の町の防災訓練に参加して、そのプランが有効かどうかを検証するために来ました。

若者の「盾」となり、実践の場を提供する

ーー少し話は逸れますが、若者ってやりたいことはたくさんあるけど、音信不通になったりとか、ある種の「無責任さ」があるのではないでしょうか。高木さんはその辺りをどう捉えていますか?

高木さん: わかります。自分もたくさん団体をやってきて途中でバグりました(笑)。

ーーバグってしまったのですね(笑)。

高木さん: 「若者期」というものがそういうものだと捉えられるようになったんです。その個人が悪いというより、通過点みたいなものだなと。だからこそ、パートナーシップを組むときに若者個人を信頼するのではなく、COAsという法人が責任を負って若者をアテンドするスタンスを取っています。若者団体って信頼を得るのが難しいからこそ、一旦うちで責任を負いますと。

ーーなるほど。組織として若者の盾になっているんですね。

高木さん: その代わり、嫌な大人やハラスメント気味な大人からは若者をしっかり守ります。こちらから大人側との関係を切ることも珍しくありません。大前提は若者が持っている世界観や作りたい未来を解放することなので、そうした大人と関わるというのは本末転倒ですから。

ーー大人として若者と関わる際、つい自分の人生を語ってしまい、老害にならないか心配になることもあるのですが(笑)。

高木さん: いや、老害になりたくないと思っているうちは全く心配ないですよ(笑)。経験値はあるけれどフラットに関わってくれる大人は、若者にとって実質的にメンターになっているんです。若者自身も自然体でいられるので、そういった大人の方はすごく貴重だと思います。

ーーCOAsの活動を通じて、若者にはどんな経験をしてほしいと考えていますか?

高木さん: 一歩を踏み出す経験と、誰かと協働する経験です。例えば、超有名なコンサルティング会社に就職した大学4年生のメンバーがいるんですが、彼女には「コンサルになるのに1円も稼いだことないのはコンサルとしてどうなの?」と話して、月に1回のカフェのポップアップ営業を始めてもらったんです。それを2年間継続した結果、キチンと就職することができました。若者は「やりたい」とは言うけどなかなかやらないので、いかに経験のチャンスを提供するかが重要だと思っています。

東京と徳島を「循環」させる未来へ

ーー具体的な実践を促しているんですね。では最後に、今後の牟岐との関わりや、高木さん自身の展望について教えてください。

高木さん: 牟岐では今後、ターンファームの奥にあるスペースを自分たちでDIYして、COAsの牟岐拠点を作ろうと計画しています。そしてゆくゆくは東京と徳島の若者を循環させたいと考えています。

ーー循環ですか。それぞれにどんな経験をしてほしいのでしょうか?

高木さん: 東京の若者には地方で活動する経験を通して、この景色の中で生きている人たちがどんな現実や課題に向き合っているのかを感じてほしいです。でも一番大事なのは「内省」する機会ですね。東京にいるととにかく忙しかったり、バイトしたり友達に会ったりしてしまいますが、牟岐のようなゆとりある余白の時間はある意味で日常から隔離されています。だからこそ、自分自身について深く考える時間を取ってほしいんです。

ーー牟岐の「余白」が、自己と向き合う時間になるんですね。では逆に、徳島の若者には?

高木さん: 徳島の若者には東京に来てどんどん刺激を受けてほしいです。東京のいいところは、映画やミュージカルといった「文化資本」が集積していることです。そして、人との繋がりである「社会関係資本」が圧倒的にあることです。そこでたくさんの刺激を受け、いろんな人に会ってチャンスを掴み、その経験を徳島に持ち帰ってほしい。そこを循環させることができたら、すごく面白いなと思っています。

ーーなるほど。東京と徳島の両方を知ることで、お互いに無いものを補い合えるわけですね。

高木さん: 実は自分自身も去年の12月に、地元の巣鴨・大塚にある「RYOZAN PARK」という複合施設にコミュニティマネージャーとして就職したばかりなんです。シェアオフィスやシェアハウス、プリスクールなどがある場所なんですが、一次面接の時にオーナーと「ここで何をやっていきたいか」で意気投合してしまって、最後は握手して終わったくらいで(笑)。

ーー面接で握手ってなかなかですね(笑)。では今は、会社員と大学院生、そしてCOAsの代表と、かなり多忙なのでは?

高木さん: RYOZAN PARKはオーナーを含めて15人ぐらいの小さな会社で、自分の活動と両立できそうなところを探していたんです。平日はそこで働きつつ、大学院は週に1回のオンライン授業なので両立できています。今回のように休みをもらって牟岐に来たりして、COAsの活動をライフワークとして続けています。

ーーなるほど。では今後も大学院で学びながら、そのスタイルを続けていくと。

高木さん: はい。学部の時にコミュニティ作りやNPOの経営は学んだんですが、就職するか起業するか迷った時に、自分自身がもう少し社会やこの分野について深く学んでから考えたいと思ったんです。ある種のモラトリアムというか、余白期間みたいな意味で大学院に進んだところもあって。あと1年通って、RYOZAN PARKで働きながらCOAsを続けていきたいですね。

ーー最後に、牟岐町には今後どんな町になっていってほしいですか?

高木さん: 正直に言うと、「牟岐にこうなってほしい」という思いは自分にはないんです。それは牟岐に暮らす人や、この町をアイデンティティとして持つ人が考えればいいことだと思っていて。自分は、そういう人たちが「どうしていきたいか」という思いに乗っかったり、町の一部をお借りして若者が自分らしさを発揮するための内省や経験の場を作れたらいいなと。これからも、若者が活躍しやすい、受け入れてくれる余白のある町であり続けてくれたら嬉しいですね。

ーー高木さん自身も、そして関わる若者たちもこれからの展開がさらに楽しみです。本日はありがとうございました。

インタビューを終えてふと合点がいきました。彼はずっと「水の人」だったんだなと。かつてプールサイドから水中に飛び込み、仲間とのパフォーマンスで観客を沸かせていた「ウォーターボーイズ」の少年は今、牟岐という広大な海(余白)に飛び込み、地域と若者を巻き込む新しい渦を作り出しています。

東京から潮の匂いを辿るようにしてやってきた彼は、ただ通り過ぎるのではなく、東京と牟岐の間で人を「循環」させる確かな流れを生み出そうとしています。若者たちの不確実さをも受け入れ、盾となって彼らの世界観を守り抜く強さ。彼らが自由に泳ぎ回れるこの町の余白が、これからどんな景色を見せてくれるのか、その展開にますます期待が高まります。

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