今回話を伺ったのは八木俊樹さん(31歳)。大手総合情報サービス企業に務めていましたが、娘さんが生まれたことでその会社を辞め独立。2024年3月には大阪から家族で牟岐町へと移住。娘さんが生まれたのを期に八木さんの奥さんのご出身である牟岐町へ移住することを決めたそうですが、どのようにして移住するまでに至ったのでしょうか?
転勤よりも家族との時間を
ー 牟岐に移住をされたということでその経緯をお聞きできたらと思いますが、もともとご出身はどちらでしょうか?
出身は広島県の尾道市です。大学の時に大阪に出てまして、学生時代に妻と出会いました。その後2016年4月に新卒でリクルートという会社に就職をしまして、兵庫県、岡山県、熊本県と結構転々と転勤を繰り返していました。その後2023年の1月に独立をしてしばらく大阪で暮らしていまして、牟岐町に移住をしたのは2024年の3月になります。
ー 小中高は尾道で過ごしていたのでしょうか?
そうです。
ー リクルートを辞めて独立。そして牟岐町へ移住とは、どんな理由があったのでしょうか?
先ず、独立を決めたのは娘が生まれた日でして、娘の顔を見たときに家族との時間をできる限り増やしていきたいなと思ったのがキッカケです。その年の年末(2022年)に退職をして、独立をした形になります。
ー 会社に勤めているとなにかと忙しく、家族との時間を作るのが難しかったのでしょうか?
僕が岡山県にいる時に、妻は大阪に住んでいまして別居婚のような形で結婚生活がスタートしたんです。当時、大阪へ異動を希望していたのですが、蓋を開けると熊本に異動になりまして(笑)。
ー ん?それは奥さんもご一緒にですか?
いえ、妻は大阪で公務員をしていたのでもちろん1人です(笑)。この時にはじめて「転勤生活というのは家族と一緒に過ごすことはできないんだな…」と実感をしまして、違和感を感じました。それまでは会社を辞めるつもりは全くありませんでしたが…ましてやどこかに移住するなんてことも考えてもいませんでした。そこで独立という考えが少しあって、娘が生まれてそれが強くなったといった感じです。
ー 大阪を希望しているのに、より遠くに異動とはなかなかですね(笑)
異動する場合、ステップアップとしての異動なので喜ばしいことではあるので、いつも異動の際にはポジティブに捉えていましたが、その時初めてポジティブには考えられなくなりました。
ー 熊本にはどのぐらいいたのでしょうか?
一年いました。その間もずっと戻してくれと上司に交渉をしていまして、一年後には大阪に戻ってこれました。
ー そこで娘さんが生まれ独立を決めることになるわけですが、どんな業種で独立をするなど決めていたのでしょうか?
それが全く決めていなくて(笑)。ただ、この会社にいる限りは転勤が避けられなかったので、とりあえず辞めようと。
ー 先ずは辞めるのが先だったと。
そうです。2022年の7月に娘が生まれたので、8月にはすでにそれを会社に伝えていました。共働きでしたし、貯金などを考えれば一年ぐらいはゆっくり考えられるかなと思っていましたのですぐに転職してってことは全く考えていなかったですし、リクルートの先輩方は独立されている方がたくさんいらっしゃったので、自分もなんとかなるかなと。
ー 確かにリクルートという会社はある種特殊というか、辞めるのが前提のような会社というイメージを僕は持っていますので、そもそも辞めることも抵抗がなかったと。
それはあるかもしれませんね。
ー リクルートでは新規事業を立ち上げる部署に所属していたのでしょうか?
僕は飲食情報関係の営業部に所属していましたので、飲食店に直接飛び込み営業などもしていました。名刺を破られたりなどありましたね(笑)。
ー 過酷な環境でお仕事をされていたんですね。
それが当たり前の社会で生きてきました(笑)。
ー すごいですね。僕はそうした経験はないのである種羨ましいというか、そうした経験をするには相当な勇気が必要です。八木さんはそれを乗り越えてきたんですね。
会社を辞めはしたが、そうした環境が嫌だったわけではないとも笑いながらお話をしてくれました
里帰り出産を機に牟岐での生活が
ー 独立するにあたり、どのように展開していったのでしょうか?
自分は営業経験しかなく営業しかできなかったので、企業様の営業が足りていない部分を補う”営業代行”という仕事と、リクルートに在籍している時にキャリアコンサルタントという資格を取得していたので、キャリアコンサルタントの仕事を軸にスタートしていきました。
ー なるほど。辞めた当初は何をするか全く決まっていなかったけど、自分のできることを考えたら自然とそうなっていったといった感じでしょうか。
まずは自分の経験から稼げるものをと思って考えました。これらだったらすぐにでもできるかなと思いまして。なので最初はとある大学の大学生の就職支援を行っていたりしましたし、残りの日は営業代行をしていました。
ー その傍らで子育てもしていたのでしょうか?
こうした仕事は週3日ぐらいで入って、残りの4日は家族との時間を過ごすようにしていました。
ー それが娘さんが生まれて間もない大阪での生活だと思いますが、その後牟岐町に移住することになったのはなぜでしょうか?大阪の暮らしも非常に順調に感じますが。
もともと移住は全く考えていませんでしたし、妻が公務員だったこともあり、大阪から離れることは考えていませんでしたが、ひとつのキッカケは妻の里帰り出産でした。その時の一年の半分ぐらいは牟岐で過ごす事が多かったんですが、自然が豊かで暮らしやすいなと感じましたし、大阪だとお互いの両親のサポートを受けにくい環境になってしまいます。なので牟岐にいる事で妻の両親のサポートを受けられるのは自分たちにとって大きかったですね。
ー 里帰り出産の際、牟岐に滞在している時もリモートでお仕事をされていたんですね。
モラスコむぎのコワーキングスペースを使って仕事をしていました。一ヶ月まるまる牟岐にいることもあったので、モラスコむぎには当時から本当にお世話になってます。
ー 移住する前からそんなに利用されていたんですね。
そうなんです(笑)。決め手のひとつとなったのは保育園もあります。大阪だと「ここの保育園は良いけど倍率が…」「こっちの保育園は…」みたいな話がありますが、牟岐だったら一択だったので実は大きい(笑)。それで僕はこっちでも働けそうだし、妻もちょうど牟岐町役場の採用情報を見つけて、これが受かったら移住しようということで。それで無事採用され移住に至りました。
ー 奥さんも移住に関して全然後ろ向きではなかったんですね。
妻はもちろん地元ですし、僕も田舎育ち。夫婦で「こういった環境で子育てした方が良いんじゃないか?」みたいな感覚がありました。
ー そこで尾道という選択肢はなかったのでしょうか?
ああ…なかったですね。
ー それは興味深いですね。なぜでしょう?
それは、僕がこの数年で単純に牟岐が好きになっていたのはあるかもしれません。尾道よりももっと自然を感じられる感覚があって。
ー 現在、奥さんのご実家にご両親と一緒に住んでいるそうですが、普通であれば気を遣ってしまいそうです。八木さんはその辺りはわりとへっちゃらだと。
それはもう妻のご両親が素敵な方だなので。感謝感謝です!
子育てにサーフィンに磯釣り
ー 2024年3月に移住をして半年以上が経ちますが、連続して生活してみていかがでしょう?
めちゃくちゃ良いですね。仕事面では牟岐に来てから同世代の子どもを持つ父親にフォーカスをあてたWebメディア『TOCHANTO(とうちゃんと)』を立ち上げ、2025年から本格的にスタートさせています。
八木さんが立ち上げたWebメディア『TOCHANTO』
『遊観』や『モラスコむぎ』も使ってお仕事をすることも多いそうです
仕事のスタイルは、基本的には夜8時頃になったら娘と一緒に寝て、明け方3時半には起きて6時まで仕事をして、そこから保育園に行くまで家族で一緒に過ごして、保育園に行っている間は仕事をして、16時に娘を迎えに行くので、保育園にいない時間はほとんど娘と一緒にいますね。
ー とても素敵な時間の使い方ですね。では牟岐での生活は自然を満喫するというよりは自然環境に身をおきながら家族との時間を大切にするといった感覚なのでしょうか?
そうですね。ただ僕自身は牟岐に来てからサーフィンをはじめたりしています。友人に連れて行ってもらった時に地元のサーファーの方々がすごく良くしてくれまして。牟岐だからこそハマれたと感じています。あと妻のお父さんが磯釣りをやっているので、何度か一緒に連れて行ってもらって、釣ったグレを娘に食べさせたりなどしています。今年は釣りにもハマりたいですね(笑)
写真提供:八木さん
ー すごい!サーフィンに磯釣りって、牟岐ならではな良いところを楽しんでいますね!
そうですね(笑)めちゃくちゃ牟岐の生活を満喫していると思います。なので、僕にとっても家族にとっても移住は正解だったと思います。保育園も10人ほどのクラスに先生が3人4人と付いてくれて本当に手厚い。大阪ではありえないです。こんな有り難い環境はないなと思っています。
今後は農業やイベント展開も
ー では最後に、今後の展望などがありましたらお聞かせください。
先ずは先程も紹介した『TOCHANTO』の事業を軌道にのせることが2025年の目標です。「働く場所がないんじゃない?」と大阪の友人などにもよく言われますし、その通りだと思っています。今後はTOCHANTO(とうちゃんと)を通じて、牟岐に興味を持つ人を増やしたり、牟岐の働く場所になるような事業・企業にしていきたいと思っています。あともうひとつ牟岐でやっていきたいことは『農』です。
写真提供:八木さん
ー へぇ。なぜ『農』なのでしょうか?
TOCHANTO(とうちゃんと)もそうなのですが、「家族の幸せと子どもの将来を守る、つくる」ことを自分のテーマとして活動していきたいと思っています。僕にとって、家族の日常や、娘のふるさと、将来を守る、つくることを考えた時に、やっぱり「食」は大きな軸になるし、大きな「課題」でもあるとこの1年牟岐で暮らしたことでより感じるようになりました。だからこそ小さくでも「農」には関わっていきたいと思っております。
あとは遊観やモラスコむぎを使って、町の皆様と一緒に家族が集まれるイベントなども積極的に行っていきたいなと思っています。TOCHANTO(とうちゃんと)と掛け合わせて色々できると感じています。
長年勤めた会社の退職に、子育て、独立、移住、そして新規事業の立ち上げなど、短期間で経験していることは決して誰でもできることではないし、それ相当の苦労があるはずですが、終始笑いながらお話をしてくれた八木さん。非常にポジティブなエネルギーを持った心の強い方だと感じました。また、このインタビューは遊観で行ったのですが、その後は遊観を運営している下之坊さんとこれからやっていきたいイベントの打ち合わせをしていました。ここでお話してくれた以外にもまだまだやりたいこと、やるべきことが八木さんにはあるので、今後の八木さんの動きに注目したいと同時に、牟岐町で起こることにも期待をしたいと思います。