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近畿牟岐会への橋渡し的な存在として – 古谷 健さん・井上 暁さん

以前、牟岐町には『近畿牟岐会』というグループがありました。関西圏在住の牟岐町出身者が集まり、牟岐町への熱い想いをもとに熱心に活動をしていたそうです。今回の牟岐人は、町職員として近畿牟岐会に関わることになり、現在は『牟岐ふるさと会』の役員でもある、古谷健さんと井上暁さん。近畿牟岐会の活動から、他地域からの若い世代も関わっている現在の牟岐町について、様々な経験をもとにお話を伺いました。

生まれも育ちも牟岐町

編集者
先ず、お二人の背景について軽くお話を伺えたらと思いますが、ご出身は牟岐町でしょうか?

井上さん
そうです。生まれも育ちもずっと牟岐です。

▲井上暁さん

古谷さん
学校も全部牟岐やな。牟岐で生まれて85年よ。

▲古谷健さん

編集者
お二人とも牟岐町で職員をされていたと聞きました。

井上さん
ええ。学校を卒業してから牟岐町役場に入って、教育委員会にもいったりしたね。

古谷さん
ワシは学校を卒業してからは家業の農業をしよったんよ。当時は役場の職員が集まらんかったけんな。農業よりこっちせぇって当時の町長に誘われて役場に入ることになったんよ。

編集者
当時、一緒の課に配属されたことはあったんですか?

井上さん
教育委員会では一緒やったね。古谷さんは教育次長もしよったんよ。

助成金の流れで近畿牟岐会が設立

編集者
では近畿牟岐会について教えていただけたらと思います。というのも、知らない方も多いと思うので、近畿牟岐会とはどのような集まりだったかといったことを改めてお聞き出来たらと思います。

古谷さん
そうやなぁ。関西圏に住んどる牟岐出身の人らでできた会でな。年に1回ぐらい集まって町の行政の状況を報告して交流をしたり、牟岐でイベントをするときには近畿牟岐会の力を借りて芸能人に来てもらったりしたわ。関わった一番大きい事業は2010年ぐらいまでやっていた『南阿波サンラインマラソン』やな〜。

編集者
イベントや事業に必要な人や企業を近畿牟岐会が繋げてくれてたんですね。

古谷さん
そう。あとは牟岐で浜節句のイベントをする時には近畿牟岐会から30〜40人ぐらい来てくれてな。子供の時以来の浜節句で喜んでくれとったなぁ。

▲こちらは数年前にイベントとして行われた浜節句の時の一コマ。牟岐の人にとって浜節句は特別な日なのです。

古くからある町の風習「浜節句」

編集者
浜節句が楽しかったという話は牟岐出身の年配の方によく聞くお話です。故郷での大切な想い出の行事が再現されたのは本当に嬉しかったのでしょうね。

古谷さん
阪神大震災の時はな、近畿牟岐会の方が兵庫に交代でボランティアへ行ったり、牟岐から義援金集めて持っていったりもしたな。大阪から歩いて兵庫まで行っとる人もおったわ。

編集者
災害の時は人や地域のつながりが援助につながると言いますが、正に近畿牟岐会がそのつながりを作るきっかけになっていたんですね。そもそも近畿牟岐会はどのようにできたのでしょうか?古谷さんは立ち上げから長く関わられたと聞きました。

古谷さん
ふるさと創生事業といってな、平成元年ごろに各市区町村に対し、地域振興のために1億円の助成金が交付されることになったんやな。その使い道をどうするか、と。牟岐の人の意見を聞くのはもちろんとして、県外に住んでいる牟岐出身の人たちにも意見を聞いたほうが良いんとちゃうか?と当時の町長が考えてな。当時、役場の企画開発課におったワシが組織作りを頼まれたんやな。

▲当時の新聞の切り抜き。その頃から町を活性化することへの意味を知ることが出来る記事と感じました。

編集者
助成金の使い道について外からの意見を取り入れるのが、近畿牟岐会の当初の目的だったんですね。組織作りは順調に進みましたか?

古谷さん
はじめはワシと助役の同級生5人ぐらいに声をかけて集まってもらってな。そこで近畿牟岐会の趣旨を説明して、色んな人に入会のお誘いの連絡をして、初めての総会時には250人ぐらい入会してくれとったね。

編集者
すごいですね!ちなみに助成金は何に使われたんですか?

古谷さん
鬼ケ岩温泉とモラスコ牟岐の設立に使われました。鬼ケ岩温泉は今はもう廃業してしまっとるけどな。

編集者
なるほど。助成金の使われ方が決まった後も会は存続し、はじめに伺ったイベントなどの活動につながっていったんですね。

牟岐を離れた人たちの故郷への想いに触れて

古谷さん
近畿牟岐会のみなさんは牟岐への想いが強くてな。自分は牟岐から出た事がなかったけん、牟岐を離れても故郷というのはこんなに大きいもんなんやな〜と、改めて知らされたな。

編集者
井上さんは古谷さんの一世代ほど下とお聞きしましたが、どのような経緯で近畿牟岐会に関わられたのでしょうか?

井上さん
役場の企画開発課に配属になって、役場職員として総会に参加したのが初めての関わりやったかな。その後、近畿牟岐会の役員をやってた友人に入会を誘われて。同窓会みたいで楽しそうやなぁと思って会員になりました。

編集者
その当時もみなさん牟岐への想いは強かったのでしょうか?

井上さん
そうですねぇ。古谷さんと同じで自分も生まれてからずっと牟岐で育っているんで、町を離れた同級生が牟岐への熱い想いがこんなにもあるんかと思いましたね〜。

編集者
お二人は近畿牟岐会の活動にどのような想いで参加されていたのでしょうか?

古谷さん
ワシはさっきも言ったようにずっと牟岐におるから、牟岐を離れた人の目線や意見を知りたくてな。外の人たちの牟岐を良くしたいっていう想いを町で活かしたり、町の状況や意見を近畿牟岐会に伝えることが自分の役目ちゃうかと思っとったね。

井上さん
同級生の牟岐への想いに触れて、せっかく行政の仕事をしとるんで彼らの想いや意見を自分の仕事で何か活かしたいと思ってましたね。

編集者
お二人とも牟岐と近畿牟岐会の方々の橋渡し的な存在だったんですね。

牟岐ふるさと会とこれから

編集者
前回取材させていただいた坂本さんから、発足から25年以上活動してきた近畿牟岐会も会員数減少と高齢化により幕を閉じたと聞きました。しかし近畿牟岐会の流れをついで『牟岐ふるさと会』が発足されたそうですね。

古谷さん
流れをついだと言うてもコロナもあってまだこれといった活動はできてないけんな。町から今も案内出しよった近畿牟岐会の会員の人らと、牟岐で活動しよる色んな人らをとりあえず一緒の組織に登録したようなもんやろうな。最近牟岐で色んな活動してくれよる大学生や若い子もようけ入っとるし。

編集者
これまで別々の組織や個人で活動していた方々が年齢を問わず入会してるんですね。それぞれの活動や情報を共有できるネットワークを作るのは今後の牟岐にとってすごく重要だと感じます。

井上さん
うまく育っていけばええんやけどな。私らも若い子がどんなことをしよるかというのは分かってないことが多いんで、知れるようになったら良いなと思います。

古谷さん
若い子らはインターネットでいろいろ知れるんやろうけど、私らは実際会うたりせんとどんな子が何しよるか知れる機会がないけんねぇ。

編集者
ここ10年ほどで牟岐生まれでは無い、学生を含めた若い方たちが活動することが増えてきていると思うのですが、そのことについてはどう感じていますか?

古谷さん
それはもちろん嬉しいことよ。

井上さん
牟岐で生まれたわけでもないのに、町のことを一生懸命考えてくれる若い子がおるんやなぁとおどろくし、嬉しいね。

編集者
もし若い方々から、一緒に何かをしてほしいとか昔の話などを聞かせてほしいといった要望があれば対応されますか?

古谷さん
もちろん自分らでできることがあるんやったら。けどこんな年寄りに声かけてもなぁ(笑)

編集者
いえいえ、年を重ねているからこその経験談や、歴史を教えていただく機会は若い方々には必要だと思います。現在牟岐で活動されている方々に期待することはありますか?

井上さん
腰を据えた末長い活動をしてくれたらええなと思います。何をするにしても、継続するのが大切やけんね。

古谷さん
そうやな。これまで地域を生かした商品や行事も色んなモノが生まれてはいるんやけど、はじめは上手くいってもどれも続かなくて無くなってしまったけんな…

最後に

編集者
近畿牟岐会は世代が変わっても長く継続したからこそ、牟岐ふるさと会につながったのかもしれませんね。最後に、牟岐の好きなところはありますか?もしくはこうなってほしいというところでもありましたら。

古谷さん
大島や津島をどうにか活かせんもんかなと思います。大島観音や島の歴史も牟岐の人でも知らん人も多いしな。あとは千年サンゴという貴重な資源もどうにかもっと活かせんかなぁと思うね。

井上さん
自分は牟岐のあまり手をつけてない自然が好きやし大切にせなあかんと思うんで、これからもできたらあまり開発なく自然を守ってくれたら良いと思います。

「自分たちは近畿牟岐会の人たちの熱い想いを元に動いていただけ」と言っていた古谷さんと井上さん。でも、詳細に熱く過去の活動から未来への想いまで話してくださるお二人の姿からは大きな牟岐愛を感じました。牟岐ふるさと会をきっかけに、若い世代とお二人のような成功も失敗も知っている先輩が繋がれば、より広く深い「町を良くする活動」が実現するかもしれません。

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