牟岐人 - MUGIZINE

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「自己満足な表現じゃなく、町への恩返しでもある」切り絵作家 川邊博正

今回の牟岐人は切り絵作家の川邊博正さん。
イベントのポスターや海部高等学校校誌の表紙などで採用されていることもあり、川邊さんの作品は地域で広く知られています。県内外で個展も行い、長年精力的に活動されています。ギャラリー兼アトリエでもあるご自宅でお話を伺いました。

自転車で日本一周した20歳

編集者
お生まれは牟岐町ですか?

川邊さん
牟岐町です。東牟岐に実家があって、今住んでるこの場所は父が乾物屋をしよったんよ。

編集者
そのままずっと牟岐町で?

川邊さん
高校まで牟岐町で、そこから東京に行ったね。

編集者
東京ではどんなことをされてたんですか?

川邊さん
多摩芸術学園という学校で舞台美術を学んどったんよ。はじめは「役者も良いなぁ」なんて考えて劇団ひまわりに所属してたんやけど、周りがすごかったので自分には役者は無理やなとすぐ感じて諦めた。でも舞台美術の仕事を間近に見ていて興味を持ったので、その道に進みました。あと、色んなものを見て感じたいと思って20歳のころには自転車で日本一周をしてね。その時の経験もすごく大きくて、お世話になった人たちの中には今でも連絡取り合う人もいる。

編集者
多くのことを吸収された期間だったんですね。ちなみに子供の頃から絵やモノづくりはお好きでしたか?

川邊さん
小さいときから絵描くんが好きやったね。周りも上手いって褒めてくれたし、小学校の時には絵で食べていきたいって漠然と思っていたね。

編集者
すごいですね。東京にはそのまま長く住んでいたんですか?

川邊さん
ずっと居たかったんやけど、長男なので家を継ぐために帰ってきてほしいという父の想いがあって25歳ぐらいで牟岐に帰ってきた。その当時は長男が家を継ぐのは当たり前って感じやったんでね。できたらずっと東京で舞台美術をしていたかったなぁってその時は思っていたよ。

50歳を過ぎてから切り絵一本に

編集者
牟岐町に帰ってからは乾物屋さんを継がれたのですか?

川邊さん
いや、乾物屋はその頃にはもうこれからはやっていくのが厳しいだろうということで別の仕事をしていました。阿南市の印刷会社でデザイナーをしたり、徳島市の割烹料亭で支配人をしたり。支配人をしていた52歳ごろに働きすぎたのか、過労とストレスで胃に穴が開いてしまって手術をして。それからは体のことを考えて自分のペースで働けるように、フリーでデザイン業をしてチラシやお店の看板を作ったり、絵画教室もしたね。宍喰商業や海部高校で美術の講師もしていました。

編集者
お忙しい毎日だったと思いますが、その間も作品は制作されていたんでしょうか?

川邊さん
しよったよ。油絵や水彩など色んな画材で描いていて、その中の一つとして切り絵もしよったんやけど、50歳過ぎから切り絵一本に絞りました。

編集者
なぜ切り絵を選ばれたんですか?

川邊さん
切り絵は見た時のインパクトが強いし、メッセージを込めやすいと思ったんよ。切り絵だからこうしなければといった型にはこだわらず、どうすれば分かりやすくストレートに伝わるかを考えてやっている。絵だけじゃなく文字を入れたりもするし、切り絵といえば白黒が常識という人もいるけど、僕はカラーのほうが伝わるんじゃないかと思っているのでよく色をつけています。老若男女どんな人が見ても分かりやすく元気づけたり、勇気づけたり、癒しを感じてもらえるような作品を作るようにしているね。

▲ご自宅のギャラリーに展示してある作品。鮮やかな色と輪郭がハッキリとしているのが川邊さんの切り絵の特徴。

自己満足ではない表現を

編集者
牟岐を中心とした徳島県内の景色や祭りの風景をテーマにした作品が多いですよね。

川邊さん
やっぱり馴染みのある風景を作品にしたら町の人が喜んでくれるけんね。町のじいちゃんばあちゃんが見ても何か感じてほしいと思っている。町への恩返しという部分もある。自己満足な表現じゃなく、少しでも世のために人のためになるようなものを作りたいんです。残りの時間は少ないんでね。保身のためじゃなく周りを幸せにするために動かな、亡くなった人たちに申し訳ない。

▲牟岐町や海部郡の場所を切り絵に落とし込むのも川邊さんの特徴。上の切り絵は牟岐の人なら誰でも分かる内妻海岸。

編集者
そういう利他の精神は昔から強く抱かれていたんですか?

川邊さん
やっぱり両親が亡くなってからより強く考えるようになったね。父と母が亡くなる時「ありがとう」ともっと伝えたらよかったと後悔したのがきっかけ。精一杯生きるとはどういうことか、幸せとはなにか、自分は出会った人たちを幸せにできているのだろうか、と色々考えて。自分は出会う人にすごく恵まれてきたと改めて感じたんやけど、彼らにどうやったら恩返しできるのかとか。生きていることって当たり前すぎてほとんどの人はその幸せを分かっていないんよね。「生きているだけ」がいかに素晴らしいことか。毎日奇跡の積み重ねなんよ。生きてる限りいつかは死ぬんやけど。だからこそ亡くなった人らのことは忘れずに、その人たちの分まで精一杯頑張ることが恩返しになると思っているんよ。

▲川邊さんの工房。レコードやCD、DVDや本に囲まれた空間でいつも作業しているそうです。

編集者
確かに普段は忘れがちかもしれませんね。

川邊さん
あとこれもすごく大切なことなんやけど、人間の本当の価値や幸せって学歴とかキャリアじゃないと思うんよ。そこに気づけば、幸せなんて足元や隣にいっぱいある。当たり前の幸せに気づいて、自分で自分を機嫌よく楽しませることやね。自分自信が幸せでないと、周りを幸せにできん。まず自分が楽しむことは人のためなんよ。僕の切り絵もそうやけど、他の人か見たらどうでも良いことでも自分が好きなことをそれぞれが見つけて楽しむことが世の中のためになってますよってことやと思うんよ。好きなことが無かったり分からんかったりすることが、寂しさや悲しさになってしまう人がようけおるんやろうなぁと思う。今の教育現場にはそうゆう人たちを切り捨てるんじゃなくて寄り添ってあげてほしい。

編集者
この自粛見舞いカードも人に寄り添いたいという想いから作られてるのでしょうか?

川邊さん
そう、コロナ禍で長い間なかなか外にも出られないで気分が沈んだり弱っている人も多いでしょ。そんな人らがこれ読んでちょっとでも喜んでくれたり癒しになったらと思ってね。もう200枚ぐらい配って、これからまだ200枚ぐらい送るんやけど。文章読んで泣いてくれる人も結構おるんよ。知り合いも年寄りが多くなってきたしその上コロナやしなかなか気軽に会うこともできんでしょ。ハガキからでも一声かけてあげたいと思って。

▲新しく制作された自粛見舞いのための作品。

故郷は好きとか嫌いとか言う以前の話

編集者
本当にそうですね。では牟岐には今後どんな町になってほしいですか?

川邊さん
さっきの話とも通じるけど、だれも孤立しない町になってほしい。老若男女問わず集まって気安く話し合える空間のようなものがあったら良いんかなぁ。一言二言で良いから声を掛け合って、子供とかお年寄りとか関係なく垣根や制約をなくして共に励まし合って寄り添い合うようなコミュニティを望みます。

編集者
最後になりますが、牟岐の好きなところはありますか?

川邊さん
う〜ん…好きとか嫌いとか言う以前の問題やな。だってここで生まれたんだから仕方が無いことやない。たまたま牟岐町で生まれ育ったけど、北海道で生まれたら北海道のことを一生懸命にしたと思うよ。けどまぁ好きなところあげるとしたら、アケミちゃん(奥さん)がおるところかな(笑)

▲ご自宅に構えているギャラリーで。素晴らしく力強い作品たちばかりです。

切り絵作品の原画を近くで観てみると、計算された構図とエネルギッシュなカラーリング、そして繊細なカッティングの技術に圧倒されます。終始一貫して「人に喜んでもらいたい、お世話になった人たちに恩返しをしたい」と熱く語られていた川邊さんの想いが込められた作品、機会があればぜひご覧ください。

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