牟岐人 - MUGIZINE

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『牟岐町は生まれ育った所だから好き』 モンキープリント代表 堀内隆弘さん

今回の牟岐人は大阪からUターンしてきた堀内隆弘さん(40歳)にお話しをお伺いしてきました。堀内さんが帰ってきたのは今から約7年前。帰ってきてから現在までシルクスクリーンを使ってTシャツなどを制作する『モンキープリント』の代表としてお仕事をされています。その傍ら、同じくTシャツなどを制作しているプラスワン徳島のオーナーや、牟岐町町会議員、NPOカモン牟岐、商工会理事などと、多くの肩書きを持って活動をされております。今回のインタビューではよりパーソナルな部分である、大阪から帰ってきた背景や、モンキープリントとしてのお仕事を中心にお話しを伺ってきました。

自動車整備工からプリント工場へ

編集者
今日は堀内さんが牟岐町にUターンしてきたことをメインに色々とお話をお聞きできたらと思います。
堀内さんはもともと生まれは牟岐町なのでしょうか?

堀内さん
牟岐町です。

編集者
いつまで牟岐町に住んでいらっしゃったのでしょうか?

堀内さん
高校まで牟岐に居ました。

編集者
高校を卒業してからはどこに行ったのでしょうか?

堀内さん
大阪にある自動車の専門学校に行きました。
そこで資格を取っていたので、そのまま自動車整備士として大阪の整備工場に就職をしました。

編集者
それは何年ぐらいやられていたのでしょうか?

堀内さん
3年ぐらいかな〜。それからディーラーになろうと思っていたんだけど、どうせだったら関西でしか出来ないような仕事をしようと思って引っかかったのが古着屋さん。その時は古着屋さんが調子良くて、そこで買い付けとかオリジナル商品なんかにも関わるようになって、シルクスクリーンに出会ったのが最初です。

編集者
大阪にいる頃からシルクスクリーンをやっていたんですね。

堀内さん
そうですね、古着屋をやっている時にシルクスクリーンをやっている工房と連絡を取るようになって興味を持つようになって。で、古着屋を辞めて独学で自分でシルクスクリーンで作ったTシャツを売ったりしていました。

編集者
へーなるほど。それがモンキープリントの原点とも言える出来事だったんですね。

▲モンキープリントの工房の一角。今まで制作したきたシルクスクリーンが管理されています。

堀内さん
うーんそうやねー。一番最初と言うのであれば、シルクスクリーンの工房とのやり取りがうまいこといかんくて。

編集者
というのは?

堀内さん
印刷するデザインなんかをこうして欲しいと依頼しても、向こうは全くピンとこんかったりしてて。
それで一回工房を見せてもらったら、これは面白そうだなって感じて。それが原点かもしれないですね。

編集者
へ〜そうなんですね。
じゃあそれを見様見真似でやってみたら出来たと。

堀内さん
そうやねー。今思ったらクオリティはめちゃめちゃ低いんだけど(笑)

編集者
そこから独立していったのでしょうか?

堀内さん
いや、その時はフリーターとしてやっていたんだけど、そこからプロとしてやっているプリント工場の工場長として働いていました。
デザインが出来て、印刷も出来て、4トントラックにも乗れるような人材が欲しかったらしくて、ちょうど良いタイミングで会社に入ることが出来ましたね。

編集者
なるほど。
そこでしっかりとしたシルクスクリーンの技術や知識や経験を身につけていったんですね。

堀内さん
そうそう、そこには3年ぐらいおったかな。

▲お邪魔した日は版を作る作業をしていました。

やりたい仕事がなかったから自分で仕事を始めた

編集者
それで今は牟岐町にUターンをされていますが、こっちに帰ってきたいなと言う思いもあって独立するためにUターンをされたのでしょうか?

堀内さん
いや、急に母親が亡くなってしまって。
その時はまだプリント工場の工場長として働いていたんだけど、あまりにも急なことだったから。
父親も印鑑もどこにあるか分からん状態だし、喪服のネクタイはどこだ?みたいな状況だから、これは自分がしばらくおらないかんなとなったんだけど、葬儀の晩にはもうこっちに帰ってこようと決めました。

編集者
では工場の方は辞めて、こちらに戻ってきたんですね。

堀内さん
そうやねー。でも工場長やってたらすぐに辞めるとかそういう訳にもいかんから、大阪に戻ってはやるべき事をやっていってって感じで。何か月か仕事の引き継ぎをしていき辞めましたね。

編集者
家族に不幸があり帰ってくることになった訳なのですが、大阪に居る頃からいつかは帰ってこよう、帰ってきたいなみたいなことは考えていたのでしょうか?

堀内さん
うん、でも皆そうだと思うな〜。地元だから例えば定年になったら帰ってきたいなみたいな想いは誰でもあるんだと思うんだけど、そういう感じにはずっと考えていました。だから何歳になったら帰ろうとかそういったことは考えていなくて、『地元良いよな〜、でも仕事ないしな〜』みないなそんな感じで。

編集者
そうですよね、帰ってくるにあたって仕事がないことはかなりのデメリットだと思いますし、牟岐町に限らず多くの方が地元へと帰ってこれない理由は仕事がないことだと思います。そんな中堀内さんはシルクスクリーンの技術を持っていたから独立することを前提に帰ってきたのでしょうか?

堀内さん
全然そんなことはなくて。仕事がないから自分でやり始めた所があります…仕事がないというより厳密に言うとやりたい仕事がなかったから。

編集者
こっちに帰ってきてから仕事は探したりしたんでしょうか?

堀内さん
今はネットで調べられるからハローワークなんかで探したりはしましたけど、自分に合いそうな仕事がなかったので…

編集者
それで自分でやり始めたと。

堀内さん
お世話になっていた業者さんとか、シルクスクリーンの自分の師匠たちが『そっちはどうだ?』などと心配してくれて『いやー仕事ないんですよねー』なんて言っていたら『自分でやればいいやん』って言われて。それでそういった人たちに協力してもらったから出来たってのはありますね。
だからこれなら明日から出来るなってなったからウェブサイトを作って始めていきました。

モンキープリントウェブサイト

編集者
では独立までの期間としては割とすぐなんですか?

堀内さん
引き継ぎをやっている最中に、同時に色々と調べて進めていきました。
それで当時はSNSがまだ割と新しいもので、流行しているような状況でもあったので、そうしたサービスを利用して仕事を獲得していくことが出来たので、タイミングとしては良かったんだと思います。

サーフィンと薪割りと子供

編集者
大阪から牟岐町だとプライベートでの楽しみ方が全く変わると思うのですが、プライベートはどのような楽しみ方をしているのでしょうか?

堀内さん
サーフィンして、薪割って、子供と遊んでいます。

編集者
サーフィンはやっぱり内妻海岸ですることが多いのでしょうか?

堀内さん
そうですね。殆ど内妻海岸。生見まで行くこともあるけど殆ど無いかなー。

編集者
薪って薪ストーブ用ってことですか?

堀内さん
そうそう。

編集者
薪割りって楽しいんですか?大変そうなイメージがあるのですが。

堀内さん
楽しいですよ。斧かっこええな〜とかなるし。

編集者
自分で薪を調達してきているんですか?

堀内さん
んー、今の所はなんだかんだ貰うことが多いですね。これいるけ〜って。
だから仕事が終わって火見てたら落ち着くので一種の娯楽みたいなもんかなーと。

編集者
お子さんとはどんな遊びをしているんですか?

堀内さん
その辺を探検したりかな。猫探したりとか、凧上げたりとか。

編集者
へー、楽しそうな遊びをしているんですね。田舎には施設とか無いので困ったりすることはないでしょうか?

堀内さん
んーー特にないですね。都会には海がないからすぐには行けないけど、田舎ならすぐに行けるのと一緒で、こっちには行列の出来るラーメン屋さんは無いので行きたくてもすぐには行けないっていうのと一緒のような感じなのかな〜。

編集者
なるほど。
最後に牟岐町の好きな所をお聞かせ頂けたらと思うのですが。

堀内さん
牟岐町は生まれ育った所だから好きです。子供の頃からの思い出もあるし。生まれ育った地元って感じです。

 

 

今回の牟岐人

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堀内 隆弘(ほりうち たかひろ)

モンキープリント代表
プラスワン徳島 オーナー
NPOカモン牟岐
牟岐町町会議員
商工会理事

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