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集落支援員として牟岐町に関わりを持つ – 林宏通さん

生まれも育ちも東京という林宏通(はやしひろみち)さん,38歳。

約一年前に東京から阿南市へ家族ごと移住。そして阿南市に住みながら牟岐町では集落支援員として関わることになりました。
そんな林さんはなぜ移住をしようと思ったのか、また移住から集落支援員までの経緯を中心に今回はお話を伺ってみました。
これから移住をしてみたいと考えている方々の参考になればと思います。

子供の小学校入学を機に移住を決意

編集者
林さんは移住されたとお聞きしました。林さんの出身はどちらですか?

林さん
東京の日野市ですね。生まれも育ちも東京育ちなんです。

編集者
今は阿南市に移住をされたということなんですが、そんな経緯をお聞かせいただけたらと思います。

林さん
理由はふたつあって、まずは子供の存在ですね。この春に小学一年生になった子供の存在と、もうひとつは東日本大震災以降、東京に住み続けるのに疑問をずっと持っていたってことですね。東日本大震災が起きてからずっとモヤモヤとしていまして、その翌年に子供を授かり、生まれたことによって、いつか東京から離れようという感覚はずっとあったんです。

編集者
東京ではお仕事はどんなことをされていたんですか?

林さん
10年ぐらい普通のサラリーマンをしていましたね。医療関係を中心にした会社の流通関係をコトをやっていました。なので丁度一年ぐらいまで仕事をしていましたね。

編集者
そのお仕事を辞めて阿南市へと移住をされたってことですよね?

林さん
そうですね、辞めて移住する大きなキッカケとなったのは、会社に10年も務めているとそれなりに上の立場になっていき、益々責任を持って仕事をしていかなければいけない過渡期だったんです。
特にその仕事が好きで会社に勤めていたわけではなかったので、このまま会社に尽くしていけるのかと自問した時に、「いや…この会社にあと30年居るのは無理かな…」と。
そこに子供が小学校に入学する時が近くなってきていたので、フリースクールであるNPO法人自然スクールトエックに入学させるために阿南市に移住をしたというわけなんです。

トエックWEBサイト

編集者
なるほど、それで阿南市に移住をされたんですね。

林さん
子供が小学校に入学をしちゃうと友達関係とかが出来上がってなかなか引っ越しが難しくなるのかなと思ったので、移住をするならこのタイミングかなーと思って移住をしたんです。

編集者
全国にフリースクールっていくつかあると思うんですが、トエックが良かったと。

林さん
実際にいくつか見に行ったりもして、行けないところはネットなんかで調べたりして。トエックは実際に見に来てみて環境も良さそうだしって感じて、すぐに決めましたね。

ちょっとしたキッカケから集落支援員へと

編集者
移住してから阿南の方ではお仕事はされているんですか?

林さん
していないですね。自分で仕事を始めるにしろ、1,2年は完全に白紙で行こうと決めていて。ただ、折角田舎に来たんだからまたサラリーマンをするという選択肢は無いのかなと思っています。
自然が好きなので自然に関わる仕事がしてみたいなーと漠然と考えてはいるんですが、そうした自然関係の仕事ではなかなか食っていけないという現実問題もある中で、牟岐町の炭窯の後継者を探しているということを、知人経由で牟岐町の元地域おこし協力隊の中井くんからお話を聞いたことから牟岐町へと関わることになったんです。

編集者
それをキッカケに集落支援員になられたんですね。

林さん
そうですね。炭窯の見学に来た時に、後継者は欲しいけど炭作りでは食べていけないというお話も聞いたので、今後どうやって関わっていこうか悩んだんです。でも一先ずノウハウや技術を知るために手弁当で通って学ぶことにしたんですが、間もなくして牟岐町の産業課の人たちや町の人たちの提案によって、今年の春から集落支援員として関わらせてもらうようになったという感じです。

集落支援員として、炭窯から炭を取り出す作業をしている林さん。

編集者
集落支援員になられてから約半年ぐらいですね。集落支援員として活動してみてどうですか?

林さん
春から今まで3回ほど炭を焼いたんですが、炭窯での炭作りのサイクルがようやく分かってきたところですね。7月からは炭窯を作り直したこともあり、そうした一連の流れも見ることが出来たので、準備が整ってきたという感じですかね。

炭窯をキッカケに場作りを

編集者
炭窯以外に集落支援員として活動していることってあるんですか?

林さん
実は自分が炭窯で炭を焼く技術を身につけるというよりは、炭窯のある場があるので、そこを使って多くの人が集まれるような場作りや、広報的な役割をしていくのが、ボクの集落支援員としての立場なんです。
なので、半年間炭窯に一通り関わったことで準備が整ったので、これから人を呼び込んでいくことが今後やるべき事ですね。
実はすでに7月8月に窯作りのイベントを開催しました。
7月は30人、8月は50人ぐらい来てくれて。そのうち来てくれた人たちは県外の人たちで。

編集者
では、今後はそうしたイベントを加速させていくイメージでしょうか?

林さん
そうですね。秋からは炭窯で焼く日っていうのを決めて定期開催していこうと思っています。
自然のサイクルで炭窯で焼くので日を決めてイベントを開催って難しいんですが、そうしたことを前提で参加していただけたらとは思っています。もちろん、焼く日がイベントの日とズレてしまったら来てくれた人が楽しめる何かは必ず用意しておいたり。

編集者
そうしたことを広報していく媒体はあるのでしょうか?

林さん
今の所、Facebookページですね。こちらでイベント情報だったり、日々のことを発信するようにしています。

先日行われた8月のイベントの様子もなども。

編集者
しかし50人も来てくれるってすごいですね。

林さん
先ずトエックの人たちに声をかけて。トエックに通っている親御さんたちはフットワークが軽い人が多いので。あとは東京から遊びに来たいって人たちが居たので、タイミング良く来てくれました。

編集者
東京から徳島の山奥まで!スゴイですね!まさに林さんだから出来るコトだと思います。

林さん
引っ張り込みました(笑)
この日は炭窯を作り直しているときだったので、皆さんにお手伝いしてもらいながら、ジビエバーベキューなんかも用意して楽しんでいただきました。
炭窯がすでにあるから今は炭窯が中心になっていますが、今後は炭窯もあるけど、他にも色々楽しめる場作りをしていきたいと思っていますね。

編集者
最後に林さんの様に牟岐に関わっている方から是非牟岐のいいなーと思ったところなんかをお伺いしたいです。

林さん
やっぱり、海があって、川があって、山があるっていうのが、自分にとってすべてそろっているなーと感じましたね。東京に住んでいたころは海は当然ありますけど片道二時間かけて行くようなところなので。
だから田舎は何にもないって言う言い方をされたりもするけど、自分にとっては何でもあるように感じますね。もし今住んでいる人たちが何もないって感じるんだとしたら、それはすごく勿体ないことだと思いますね。

とにかく自然が好きで、これから次や、次の次の世代に向けて、自分たちが今しているコトが恥ずかしくなく、そして持続、継続していけるコトをやっていくべきだとも強くお話をしてくれた今回のインタビュー。この資本主義のなか、そうしたコトと真剣に向き合って形にしていくのは、林さんに限らず、都会でも地方でも日本に住む人々にとっては簡単なことではありません。
ただ林さんと話をしていると、一人一人が焦らず、じっくりと時間をかけて行っていけば、持続可能な社会になっていくのではないだろうかと感じた次第です。

今回の牟岐人

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林宏通 (はやしひろみち)

牟岐町集落支援員

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