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経済的な豊かさではない豊かさを -【牟岐町地域おこし協力隊】真武未有さん

今回お話を伺ったのは徳島市国府町出身の真武未有さん(またけみう/23歳)。徳島県四国大学在学中にカナダなどの海外での生活を約9ヶ月経験し、帰国後は無事に卒業。その後は牟岐町の地域おこし協力隊として2024年4月に移住をし、活動をはじめています。企業に就職などと選択肢の多い若者がなぜ牟岐町に移住をし、地域おこし協力隊として活動することを選んだのでしょうか?

大学在学中に海外へ

ー なぜ牟岐町に移住をしたのか?の前に真武さんの背景についてお伺いできればと思います。学生の時はどのような事を学ばれていたのでしょうか?

もともと海外に興味があり、四国大学では国際文化学科という学科で語学や文化について学んでいました。

 

ー なぜ海外に興味があったのでしょうか?

母親が私が小さい時から英語に触れさせたいという思いがあって。というのも母親は学生時代に英語が苦手だったこともあり、それを自分の娘には無くしてあげたいと考えていたみたいで。小学生の時から英語の塾にも通っていたんですけど、実はキツくて嫌だったんです。でもそれが後になって役に立って。学校の中でも英語が出来る方だったので、それが楽しくてより好きになっていき、自然と海外に興味を持ったのかなと思います。

 

ー それでは大学進学の際にはそうした海外文化が学べる環境や学科一択だったのでしょうか?

実は一択ではなくて。本当は食の事を学びたいとも考えていたため、調理に関する専門学校も候補としてありました。でもまわりの先生などに「大学行ってからなら専門学校は行けるけど、専門学校から大学に行くとなると難しくなる」といったアドバイスを受けたので、「そーなのかなー」なんて思いながら大学に行くことにしました。

 

ー それで卒業をしたら実際に海外に行こうと決めていたと。

子供の頃から海外はずっと興味があったんですけどなかなか行ける機会がなくて。それで大学在学中に休学などして最後一年はフリータイムのような期間があったんです。「今がチャンスかも」と思って大学在学中に海外に行くことを決めました。

 

ー どこの国に行かれたのでしょうか?

カナダとヨーロッパに行っていました。カナダはワーキングホリデーで半年、ヨーロッパはボランティア留学という形で3ヶ月ほど、いろんな国を転々としていました。

海外旅中の一コマ

「心地よい」と感じた『ひとつむぎ』

ー 今のところ牟岐町との関わりが全く見えてきませんが、どのあたりで牟岐町と関わり、知ることになるのでしょうか?

大学1年生の時に『NPO法人ひとつむぎ』のメンバーになって、そこから『シラタマ活動(ひとつむぎのプロジェクトのひとつ)』をしたり、2年3年生の時には食に関することや、関係人口のPR活動をしていました。

NPO法人ひとつむぎウェブサイト

NPO法人ひとつむぎ
徳島県南部にある牟岐町を拠点に、教育やまちづくりの支援を通じた地方創生を目指して活動するNPO法人。

ー なるほど、そもそも『ひとつむぎ』を知るキッカケはなんだったのでしょうか?

同級生の越智さんが同じ学科で、「教育に興味がある」って話をしていたら『ひとつむぎ』の事を教えてもらいまして。

「また牟岐に帰りたいな」 / NPO法人ひとつむぎ – 越智日和さん

 

ー 『ひとつむぎ』のどのあたりに興味を持ったのでしょうか?

実は当初は何をするのかもよく分かっていないまま参加してみたのですが、大学生が中学生に学びの場を提供していて、参加してみたらすごい雰囲気が良くて、「あ、ここ心地よいな」「ここは私の場所だ」って感じてすぐにメンバーとして活動するようになりました。

 

ー へぇ、初日からピンと来たのでしょうか?

そうですね、初日から楽しくて。だから次も行こう、次も行こうってなり、繰り返していたらいつの間にか牟岐に入り浸るようになっていました。

ー 入り浸るようにですか。現にその枠を越えて地域おこし協力隊になっていますしね。海外に一度行くとその広さと文化の違いに、感動や驚きを感じるかと思いますが、もっと海外に長く住んでいたいと感じたりはしなかったですか?

日本に居るときより努力しなければいけないことが多すぎて…生きるのに精一杯なところもあって、今は一先ず日本の方が良いなとは思っています。

 

ー 確かに海外では気が抜ける日は一日もありませんからね。どのあたりで牟岐町の地域おこし協力隊として働こうと決めていたのでしょうか?

う〜ん…確かカナダに行くか行かないかぐらいの時でした。当時就職活動をしていたんですが、働く自分がいまいち想像ができなくて。就職しようかどうしようと悩んでいましたが、一先ず就活をやり切ることにしました。お陰でいくつか内定を頂くことができました。それで就活のなかでキャリアプランについて書く機会があったのですが、私のキャリアプランは牟岐町と関わっていくことが重要かなと思って。それで牟岐町で働こうと決めました。

 

ー 牟岐町で働くとなると選択肢は多くはないですが、他にも選択肢はあったと思います。なぜ地域おこし協力隊を選択したのでしょうか?

大学時代に他の地域の協力隊として関わっている人が多くおり、そうした人を知っていたため自分が働いている姿が想像しやすかったからかなと思います。

 

ー なるほど。例えば役場に就職よりも自分が活動している姿を想像しやすかったということですね。もっと言うと、『ひとつむぎ』の活動の延長として考えることができたということですね。

そうですね。そういったイメージを持てたので地域おこし協力隊としてやってみることにしました。

 

ー 募集要項も『ひとつむぎ』でやって来ていたことと近いものがあったと。

はい。情報発信であったり、関係人口のサポートであったり。あと個人的な活動として、牟岐町観光協会で記事を書かせてもらったり、牟岐町の教育委員会へインターンをし、関係人口のPR動画を作ったりしたこともあったので、それの延長にあると感じました。

取材をしたのは2024年7月。牟岐町の地域おこし協力隊として活動をスタートし約3ヶ月が経ちました。まだはじまったばかりなのでハッキリとお伝えすべき活動は出来ていませんが、真武さんは情報発信や関係人口のサポートなどを徐々に進めていっている段階です。

経済的な豊かさではない豊かさを

ー 真武さんの学生時代からの社会活動とも言える”関係人口”について伺いたいと思います。なぜ牟岐町には学生たちが訪れ、そうした学生たちがなぜ関係人口となっていくと感じますか?

『牟岐キャリアサポート』を運営している大西さんの存在は大きいと思いますし…う〜ん…やっぱり大西さんですかね(笑)

 

大学生らの歪さや面白さを感じて触発された – NPO法人牟岐キャリアサポート 大西浩正さん

 

ー それって客観的に見るととても不思議な構図に思えるのですが…というのも、もちろん大西さんや行政などの団体がいてはじめて成り立つことではありますが、一度訪れた後にもう一度関わりたいと思える魅力が牟岐町にはあるということになりますよね。そこにはなにかがあると思うのですがそのあたりって言語化できますか?

一時期、東北の方に行っていた期間があったんです。その時徳島県から外に出たことで牟岐町の良さを改めて感じることが出来たのですが、それは私が牟岐町と関わることになった最初に感じた「心地よさ」なんじゃないかなと思っていて、そこが牟岐町の魅力なんだなと感じています。

 

ー なるほど。真武さんが感じる「心地良さ」はどこから来るものなのでしょうか?地域の人の良さとかでしょうか?

そうですね、地域の人もそうですし、役場で地域のために関わっている人たちもそうです。関係人口として牟岐町に関わる大学生たちもそうです。よそ者として扱われることもありませんし、変に気を使われることもなく、一度入ってきたら仲間だよねという感覚は牟岐町ならではなのかなと感じています。

 

ー 確かに牟岐町は移住者を受け入れてくれる姿勢が他の地域とは全く違うなと僕も感じます。

ー もともと真武さんも関係人口だったわけですが、関係人口から牟岐町民となり約3ヶ月経ちました。町民として実際に活動してみていかがでしょうか?

大学生の頃から関わってきて、実際に移住をしてみるとやっぱり見えてくるものが全く違ってくるなと感じています。関係人口として関わっていた時は「牟岐町賑わっているな」「変わってきているな」なんてことを感じていましたが、実際に住んでみると感じていた賑わいは一時的なものなんだなーと感じたり、一時的に賑わっていてもそれを知らない町の人たちも沢山いる。今はそうした人たちに牟岐の魅力を再発見してもらえるような活動もしていきたいなと考えているところです。

 

ー 今まで客観的に見ていたけど、主観的になった事で見え方が変わってきたという事ですね。ではそう感じたことに対し、今後はどういったアクションを取っていきたいと考えていますか?

希望を持って私はこの町に移住をしたのに、ネガティブなことを町民の方から聞く機会も増えました。それを聞くととても悲しい気持ちになるので、そうではない明るい情報を届けれたらと思っています。『広報むぎ』で私の事を知ってくれている方も多かったので、先ずはそういった媒体を使って届けることができたら良いなと感じています。私はずっと働き方に悩んでいたんですが、牟岐町の大人たちは活き活きと働いている印象を受けたことが多かったんです。地域のために頑張ろうとかそういった志を持って働いている印象が強くあったので、私も牟岐町で一緒に働きたいと思ったんです。

 

ー 実際に移住して住んでみたら、ネガティブな部分も見えてきたということですね。

海外に出ていたというのも大きな要因としてあるように感じます。今日本全体がズーンと重い雰囲気なので。海外にいる時の海外の人たちはパン!とすごく明るかったんです。なので牟岐町に限らず日本ももっと明るくなってほしいなといった思いもあるんです。

 

ー だからこそ、地方から日本を元気にという思いで地域おこし協力隊として活動を始めたということですね。

そうです。経済的な豊かさももちろん大切ですが、そうではない豊かさを海外では感じたので、牟岐町もそうした豊かさがもっとあっても良いのかなと感じています。

 

ー そうではない豊かさ?それはどういうことでしょう?

関係人口として牟岐町に訪れる人たちって経済の事よりも、単に人の良さに惹かれて牟岐町に訪れるんです。牟岐町で過ごした時間が豊かだったなって感じていて。そうした体験からもう一回牟岐に帰りたいなって思っている人がすごく多いんです。

 

ー なるほど。僕も少なからず海外在住経験があるので理解ができるのですが、例えばアルゼンチンはある時期経済破綻をしていましたし、それ以降は非常に不安定な経済の渦中にあると言えます。しかしその一方でアルゼンチンの人たちは自国が潰れそうにも関わらず、自国が潰れそうなことと自分の幸せはイコールではないと考えている様子がどこかあり、とても明るくポジティブな人たちが多い印象を僕は持っています。

そうなんです。私がデンマークに行った時まわりはアルゼンチン人ばかりで、なぜかみんな底抜けに明るくて(笑)。

 

ー 牟岐町にもそうした人の良さ、ポジティブさ、人生の豊かさを感じられる部分を持ち合わせていると真武さんは感じていて、それをもっと地域おこしに活かせれたら良いと思っているのが、牟岐町に移住して3ヶ月経った今ということですね。

地域活性化や地方創生などといった事をトピックとする時、経済活動はどうしても切っても切り離せませんし、経済に繋がる産業は非常に重要です。しかし、そうした経済活動や産業などの以前に、人間の本質とも言える人と人が繋がる社会形成やコミュニケーション、そして個人の豊かさの追求はつい蔑ろになってしまっているのではないかと、今回真武さんにインタビューをしたことで感じました。

もちろん地域活性化を語る上で、経済活動や産業は町の大きな財政となるのでそうした事を考えて実行していくことが大前提ではあると思いますが、違う側面である「人の豊かさ」で地域をおこしていくアプローチは、外から来た人だからできるアプローチであると同時に、牟岐町に限らず今の日本全体において非常に重要なことなのではないかと感じたインタビューとなりました。

また、明治時代の日本は脱藩したことで大きく時代が動くことになりましたが、それは令和になった今の日本でも変わらないと僕は感じています。真武さんのように一度脱藩してみることで、新しい何かが見えてくるのはごく自然なことであり、それが新しい動きとなることは歴史がすでに教えてくれています。真武さんの今後の活動に期待したいと思います。

 

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