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釣りが出来る環境を求めて – 牟岐町地域おこし協力隊 石橋山河さん

石橋山河さん(いしばしさんが)26歳(インタビュー時)。兵庫県生まれだが幼少の頃に育った環境は神奈川県。高校2年生の時には東京都に引っ越すことになったが、神奈川県にほど近い多摩市。電車の駅では2駅分。ということで生活環境は全く変わらなかったという都会育ちの石橋さん。

石橋さんが都会を離れ、徳島県の田舎町牟岐町の地域おこし協力隊として赴任をして約2年が経った。これまでの経歴から現在に至るまでの活動、そして今後の展望についてお聞きしてみました。

テニス漬けの学生時代から社会人へ

編集者
先ず、石橋さんは幼少や学生の頃はどのような生活を送っていたのでしょうか?

▲ 漁協組合のある、牟岐町漁港でインタビュー。

石橋さん
学生時代はとにかくテニス漬けの毎日でした。高校はテニスの強豪校でしたので、学校に行くために実家から2時間半ほどかけて通っていました。

編集者
かなり熱心にやられていたんですね。プロテニスプレイヤーを目指していたとか?

石橋さん
幼稚園の頃からテニスはやっていたんですけど、ある時に「プロは無理だな…」って感じるようになって…大学までテニスは続けてはいたんですけど。燃え尽きたって感じです。

編集者
小さい頃から練習して大会に出て結果を残して積み重ねていった学生生活だったんですね。

石橋さん
そうですね…結果としては高校の頃が一番良かったですね。

編集者
大学ではどんなコトを学んでいたのでしょうか?

石橋さん
体育学部というところで4年間スポーツについて学んでいまして、体育の教員免許も取ったんです。

編集者
スポーツの事を学ぶというのは具体的にはどんな事を学ぶのでしょうか?

石橋さん
教育に関してだったり、運動学だったり。ほぼ体育教師としてのカリキュラムが多かったですね。例えばハードルの授業をするにはどうしたら良いか…とか。

編集者
大学を卒業した後、教員になられるのでしょうか?

石橋さん
いえ…今のところ教員免許を活かすことなく、大学卒業後は広告代理店に就職しました。

編集者
広告代理店とは、またスポーツと分野が随分離れていると感じますが、広告代理店に就職したのにはなにか理由があるのでしょうか?

石橋さん
実際どうか分からないですが、教員として働き出すと自分の時間が取れなさそうだな…といった印象があったのと、ずっと田舎に住みたいというのが夢としてあって。
テレビの『鉄腕ダッシュ』がすごい好きで憧れていたので…でも一方で社会人も経験したいということもあって。就職するなら何が自分に良さそうかなと思った時に、自分が好きなことをSNSで発信することが好きだったんです。
例えばボクはミュージシャンの『バンプ・オブ・チキン』がすごく好きなんですけど、まわりの友人たちには好きな人がいなくて…それをSNSなんかを使って広告的に伝えていくことに面白さを感じていました。なのでWEBマーケティングなどについてより学びたかったので広告代理店を選びました。

掛けた大物をキッカケに釣りにハマる

編集者
釣りが好きとお聞きしていますが、テニスにWEBマーケティングと、今のところ釣りとの繋がりはあまり見えてきません(笑)。釣りとはどのようにして出会うのでしょうか?

石橋さん
もともと父親に小さい頃にキャンプとか釣りに連れて行ってもらっていたこともあり、自然環境に身を置くことが好きだったんですけど、大学を卒業してから大学の時のテニス部の同期たちと船に乗って沖堤(沖にある独立した堤防)に行ったんです。ルアーやロッドを買い揃えて。
その時に体験したことの無いような大物の魚がかかったんですけど、ラインが切れてしまって結局姿を見ることも出来ずに終わってしまったんです。
それが悔しかったのが釣りを本格的に始めるキッカケになりました。

編集者
お父さんに連れて行ってもらっていた時の子どもの頃はどんな釣りをしていたのでしょうか?

石橋さん
オイカワとかカワムツとか。簡単な餌釣りです。

編集者
では、ルアー釣りは沖堤に行った時がはじめてだったんですね。

石橋さん
そうですね。まさかルアーで魚が釣れると思っていなくて。やってみたら本当に魚がかかったから感動しました。それから東京の湾奥シーバスという釣りをはじめてどんどん釣りにのめり込んでいきました。なので就職してからも釣りがしやすい環境作りのために、わざわざ荒川の近くに一人暮らしをしていました(笑)。

▲ 牟岐に来てからもとにかく釣り三昧の毎日を送っている石橋さんは、個人的な活動としてYouTubeチャンネル『チャンネルさんくん』も運営している。

田舎に住むことが夢で地域おこし協力隊を選択

編集者
会社員を辞めて地域おこし協力隊として牟岐町へ移住をされた訳ですが、それにはどういった理由があったのでしょうか?

石橋さん
先ず、最初にも少しお話しましたが『鉄腕ダッシュ』やYouTubeチャンネル『くーねる』に憧れていて、自然が豊かな田舎にいつか住むというのがボクの夢だったんです。
一年半ほど広告代理店に勤めていましたが、そもそも地域おこし協力隊という制度は就職活動の時に知っていたんです。で、いつかこの制度を利用して田舎に移住が出来たらと考えていました。
それで、山口県とか和歌山県とか長崎県とか、釣りが出来そうな地域での募集を探していたんです。でも募集内容にピンと来なくて…そこで牟岐町で募集をしていた情報発信と動画編集という募集内容がすごく引っかかったんです。
広告代理店では自分の興味の無いことも商材として扱っていましたが、田舎の良いところだったり、自分が好きな自然や釣りの情報発信が出来るのは面白そうだなと思ったのと、動画編集も趣味でやっていて好きだったので。迷わず応募しました。

編集者
募集内容がピッタリハマったわけですね。それまでに牟岐町に来たことはあったのでしょうか?

石橋さん
全く来たことがなかったですし、そもそも知りませんでした。採用までの流れもコロナ禍ということもあり面接はオンラインだったことや、まだ移動に制限があったことも理由としてありますが、2021年11月1日から勤務のその10日前に初めて来ました。

編集者
すごいですね(笑)。はじめて来てみた牟岐町の印象はどうでしたか?

石橋さん
一番最初に感じたことは空が広いな〜と思いました。

▲ 牟岐町漁港からの眺め。景観を遮るものはなく、空は限りなく広い。

編集者
東京と比べると随分と広いですからね。そういった印象を持つ方って実は結構多んですよね。

石橋さん
徳島駅から汽車で向かっていく際に、どんどん田舎になって行くな〜って。すごい開放的だな〜って思いました。

編集者
そうした瞬間ってワクワクしますよね。

石橋さん
勤務日初日は担当の方に牟岐町を案内してもらったのですが、「どこでも釣りが出来るじゃん!」ってワクワクしました。あとウミガメが出迎えてくれました。

編集者
へ〜。それは結構珍しい体験ですね。ウミガメからしたら「ようこそ牟岐町へ」って感じでしょうか。

石橋さん
勤務終わりの初日に釣りもしたんです。そしたら一投目からシオ(カンパチの幼魚)が釣れたんです。

編集者
おお!完全にウェルカムですね(笑)釣りのあるあるですね。

石橋さん
牟岐町に移住する前にはネットで情報を色々見ていたんですが、来てみたら見ていた情報よりも断然良くて感動しました。

編集者
その『良かった』ことって具体的に言うとどんな表現が出来ますか?

石橋さん
う~ん…言葉にするには難しいのですが、静かだな〜というのとなんだろうな〜。

編集者
その言葉にできない良さはすごく良くわかります。多分牟岐町の持つ雰囲気と石橋さんの相性が良く、ピッタリハマったんでしょうね。

石橋さん
そうだと思います。

主な活動は情報発信

編集者
地域おこし協力隊としてはどのような活動をされているのでしょうか?

石橋さん
『一般社団法人四国の右下観光局』という団体に所属していまして、その中で情報発信を担当しています。四国の右下なので牟岐町に限らず県南の情報発信になります。

一般社団法人四国の右下観光局ウェブサイト

一般社団法人四国の右下観光局
徳島県南部エリア(1市4町:阿南市・那賀町・美波町・牟岐町・海陽町)の観光地としての産業を目的に活動している一般社団法人

編集者
情報発信といっても色々と方法があると思いますが、例えば具体的にはどんなことでしょうか?

石橋さん
四国の右下で行われるツアーの動画や写真を撮り、それをYouTubeチャンネル『みぎあげTV』や各SNSに配信しているのが主となります。なので仕事内容は取材があれば現地に行き、撮った素材を持ち帰り、デスクワークで編集というルーティンが多いです。


▲ 牟岐町の『むぎ青空プロジェクト』でシャワークライミングした時。情報発信は牟岐町に限らず、阿南市でトレーラーハウスでゲストハウスを営んでいる方や、サーフィン連盟の方にサーフィンを教えてもらったりと、取材先の色んな方と関わり、知り合えることがこの仕事の面白いという。

編集者
地域おこし協力隊として活動して約2年経つわけですが、今後はどのような事を考えているのでしょうか?(地域おこし協力隊は3年が満期)

石橋さん
先ず、任期が終えても牟岐には居たいなと思っていますし、東京に戻る気は全くありません。

編集者
そうなると仕事をどうするか?という田舎で暮らすための大きな壁があります。そのあたりは既に考えていること、もしくは準備されていることなどがあるのでしょうか?

石橋さん
考えていることはもちろんあるのですが、実はそこはまだ決めきれていなくて…今後の大きな課題です。

編集者
今後も牟岐に居たいということは、この数年の活動ですっかり牟岐町への愛着が湧いたということだと汲み取れますが、最後に今後牟岐町がこうなったら良い、もしくはこうなって欲しいなどの想いがありましたらお聞かせください。

石橋さん
う~ん…言葉にするのがすごく難しいのですが、この自然環境だとかがずっとこのままでいてくれたうれしいなって思うのと、情報発信をキッカケに若い人たちが増えてくれたらうれしいなと思っています。
あと東京に久しぶりに帰った時に地下鉄なんかで疲れた顔の人を見る度に「田舎でのこんな生活もあるんだよ」って思うし、そうした疲れてしまった人たちにこそ、人生の選択肢として田舎に住むという情報が役に立ったら良いなと思っています。その選択肢として徳島県南での生活を選ぶキッカケになればと思って情報発信をしています。

編集者
都会で疲れている人に届けたいと思い、公私ともに活動されているってことですね。

インタビュー中に「この町に来て困ったことは一度もない」と、何度もお話をしてくれた石橋さん。まだ20代で一度も来たことのない町に来て「困ったことがない」ことは普通に考えればあり得ないコトだが、プロテニスプレイヤーを目指していたことが強く影響しているのか?心身ともに折れない強さを持ち合わせていることを強く感じたインタビューだった。地域おこし協力隊としての残りの任期、そしてその後の活動に期待したいと思います!

今回の牟岐人

 

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