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ゼミの枠を飛び越え、期間限定の「町の一員」へ:京都産業大学 森野葵・堀池優那

地域おこし協力隊インターン生が綴る、この町で過ごしたそれぞれの2週間と1ヶ月

徳島県の南端、深い緑と透明な海に抱かれた牟岐町。冬の足音が近づくこの町には、大学生活の多くを捧げ、卒業という人生の大きな節目を数ヶ月後に控えた今、再びこの町に帰ってきた二人の大学生がいます。

京都産業大学・現代社会学部4年生の、森野葵(もりのあおい)さんと、堀池優那(ほりいけゆうな)さん。

就職活動を終え、すでに関西圏での新しい生活が決まっている彼女たちが選んだのは、卒業旅行でも単なる遊びでもなく、「地域おこし協力隊インターン」として、期間限定の「町の一員」になることでした。

今回のインタビューは、インターン最終日を迎えた森野さんと、一足先にインターンを終えていた堀池さんに、オンラインで画面越しという形で行いました。物理的な距離は離れていても、二人の会話からは牟岐での濃密な時間が手に取るように伝わってきました。彼女たちは何を見て、何を感じたのか。お二人の滞在中の足跡を辿りながら、その心の内に迫りました。

ゼミの枠を飛び越えて

ーーまず、お二人が牟岐町と関わるようになったきっかけを教えてください。

森野さん: 私は石川県の七尾市(能登)というところの出身で、高校の授業で「地方創生や町作りが面白そうだな」と、ふわっと思ったのが始まりです。大学では地域社会学を専攻して、2年生の秋から「木原ゼミ」というゼミに入り、その活動で初めて牟岐へ来ました。
ゆずを収穫して、ゆずを絞って、町の人たちと交流をして、町を探索してというところからスタートして、その後はゼミの枠を越えて個人的に旅行として来ていたりもしました。牟岐のワーキングホリデーというのにも一週間参加をして、観光協会とか泉源さんで職場体験もしました。
そうして牟岐町と関わっていく中で、地域おこし協力隊のインターンのお話もいただいたので、やってみたいなと思い、今に至るという感じです。

ーーインターンはすでに終わったんでしたっけ?

森野さん: ちょうど今日までなんです(取材日は11月18日)。私の期間は2週間で、優那はすでに終えていて1ヶ月間でした。

ーーでは次は、堀池さんが牟岐町に関わることになったきっかけをお聞かせください。

堀池さん: 私は奈良の住宅街で育ちました。いろんな人の助けになる仕事につきたいなと思い、最初は医療関係を志していたんですが、担任の先生に「もっと広い世界を知ったほうがいい」と言われて。メディアの学部に進んだ後、1年生の時に地域系の授業で話を聞いて「面白そうだな」と思って木原ゼミに入りました。
ゼミに入ってからの流れは葵とほとんど一緒で、ワーキングホリデーに行ったりして、牟岐町との関係が深くなりました。

ーー木原ゼミの活動は牟岐町だけに絞ったものではないと思いますが、なぜ牟岐町を選ぶことになったのでしょうか?つまり、牟岐町を自主的に選び、何かを得ようとしていたと思うんです。それが何かなと思いまして。

森野さん:これまでの訪問は遊びの側面もあったのですが、何度か通ううちに「何か町に貢献できることはないか」と考えるようになりました。単なる思い出作りではなく、インターンという形で責任を持って関わりたいという思いがありました。
4年生になるとゼミの公式合宿がなくなってしまいます。そのため、卒業して社会に出る前に、自分たちの意志でもう一度牟岐を訪れ、これまでの関係性を一つの形にしたいと考えました。

堀池さん:これまで関西圏しか知らずに育ってきたので、徳島とか牟岐という全く異なる環境で「実際に生活し、働く」ことが自分にどのような影響を与えるのかを知ってみたいと思っていました。就職すれば1ヶ月という長期間は休みはとれないので、社会人になる前のこのタイミングだからこそ、じっくりと腰を据えて町と向き合う時間を自ら選択しました。牟岐は自然も多くて人も優しく好きな場所だったので、好奇心が強かったのかもしれません。

ーーご出身の奈良県のエリアは、牟岐よりも都会だったのでしょうか?

地元は電車一本ですぐに大阪へ出られるような、ごく一般的な住宅街でした。 奈良には山はあっても海はなく、生活の中で自然を身近に感じる機会は少なかったんです。 だからこそ、牟岐に来て目にした豊かな緑や、夜空に広がる満天の星には、強く心を惹きつけられました。

実際に動いて見えた、牟岐のリアル

ーー地域おこし協力隊のインターンとして、具体的にどのような活動をされていたのでしょうか? 堀池さんは夏の良い時期に滞在されていましたよね。

堀池さん:私の活動は、万博の販売のお手伝いから始まりました。それから住民の方々に牟岐の「地域食」についての聞き取り調査を行い、その内容を授業として子どもたちに伝えるという活動もしました。
また、週に一度開催されていたサマースクールで子どもたちの勉強を見たり、町役場の方々を交えた防災ワークショップに参加したりもしました。
他にもイベントの運営のお手伝いなど、1ヶ月の間で本当に幅広い経験をさせていただきました。

ーー一方で森野さんは11月の2週間という短い期間でしたが、どのような活動をされていたのでしょうか?

森野さん:私は「これ」と決まった一つのプロジェクトをずっと進めるというよりは、日によっていろいろな活動に関わらせていただきました。
一つは、大学の合宿受け入れのサポートです。ちょうど母校である京産大や、山口県の周南公立大学のゼミが合宿に来ていたので、夕食の準備を手伝ったり、町づくりに興味がある学生たちのヒアリングに応じたりしていました。
二つ目は「ゆず」に関する視察です。高知県の馬路村や北川村といったゆずの産地へ足を運び、どのような産業が展開されているのか、栽培管理はどうなっているのかを実際に見学してきました。
三つ目はインターンの枠とは少し外れるかもしれませんが、自分の休みの日を使って、この場所(ターンファーム)で「1日カフェ」をオープンさせました。

ーーえ?ここでですか?

森野さん: はい、10時から16時まで一人でやったんですが、ずっと誰かが来てくれました。

ーーインターンの「業務」としての活動はもちろんですが、実は活動の枠を超えた時間の中にこそ、地域の本当の姿がある気がしています。そうした「余白」の時間で印象に残っていることはありますか?

森野さん:本当にそうですね。業務外の繋がりで一番印象深いのは、「モラスコむぎ(貝の資料館)」の木村さんが船で出羽島(てばじま)に連れて行ってくれたことです。「出羽島アート展」が開催されていたタイミングでは、教育関係のお仕事をされているアメリカ人の方とも一緒に作品を見ながら島を散策したり、島の細い路地を歩いたり……。単なる「観光」ではなく、そこに住む方や関わる方の日常に混ぜてもらったような、とても濃密な時間でした。他にも、町の方のお家にお邪魔して、食卓を囲ませていただくような機会も何度かあり、牟岐の「人の懐の深さ」を肌で感じることができました。

堀池さん:私は、地域食の聞き取り調査でお会いした方とのご縁が忘れられません。「今度、美味しい魚を捌くから食べにおいで」と気さくに声をかけてくださったんです。実際にお邪魔すると、旬のハガツオ(カツオの一種)を振る舞ってくださって。都会では「知らない人の家にご飯を食べに行く」なんて少し構えてしまうかもしれませんが、牟岐ではその方の温かさを自然に信じられる、不思議な安心感がありました。
また、以前にゼミの活動で牟岐を訪れた際に知り合った方々と再会できたことも嬉しかったです。一緒にご飯に行ったり、夏だったので阿波おどりにも足を運びました。牟岐町内のアットホームな踊りはもちろん、徳島市内の演舞場の熱気も両方体験できたのは、この時期に滞在していたからこその贅沢でした。
過去の縁が今も続いていて、それがさらに深まっていく。そんな「地続きの繋がり」を感じられた1ヶ月でした。

情報の速さ、そして心の余白

ーー実際に住んで働いてみて、感じたギャップはありましたか?

堀池さん: ギャップというか……「情報の回り方」には驚きました(笑)。でもそれは、お互いをよく見ているからこそ。あとは、防災イベントなどでいろんな方に説明する中で、「この人にはこう言わなきゃ」といった、ある種の人を選ばなければいけないようなものは感じました。でも、それって本来都会でも田舎でも関係なくて、一人ひとりに合わせて話をしていかなきゃいけないっていう、すごく大事な学びだったなと思います。

ーー田舎はインターネットよりも情報が回るのが速い!と冗談交じりに言われたりしますからね。でもそれはすごく本質的で大事な学びだと思います。なぜなら今、人との距離感が近いようで遠くなってしまっている時代に生きていると感じます。
そうした時代の中で、堀池さんは「一人ひとりの個性」を見ようとしているわけですよね。人はみな違うわけですから、そうした対応をキチンとしようとしているわけで、誰でもできることではありません。

森野さん: 情報の速さは私も能登出身なので「あるあるだな」と思いました。大学どこに行くかを話したこともないのにすでに多くの人が知っていると(笑)。また正しい情報が正しいまま伝わるとは限らない難しさはあります(笑)。でも、それって都会の人に比べて、他人に興味を持つ「余白」があるからだと思うんです。

ーー余白ですか。

森野さん: 都会で自分のことに精一杯で生きていたら、他の人の話なんて聞く余裕はないですよね。でも牟岐の人たちは、落ち着いた空間で「最近どうなん?」って話せる時間がある。その余白があるからこそ、人に興味を持つし、お節介も焼いてくれる。自分の周りでは何でもチャレンジできる環境があったし、若い子たちが盛り上げていかなきゃっていう応援の空気もすごく感じました。

固定観念からの脱出

ーーお二人とも、4月からは新社会人として関西で働かれます。牟岐での経験はどう生きそうですか?

森野さん: 4月からは大阪の人材業界に身を置きます。以前の私は、「新卒で入った一社目に長く居続けなければならない」「長く働けるところがいいな」という固定観念にどこか縛られていた部分がありました。
ですが、牟岐で「移住しました」「転職してきました」「まだ迷っています」といった、多様な生き方や働き方を実践している大人たちに出会い、交流する中で、良い意味で肩の力が抜けた気がします。もちろん、まずは目の前の仕事に全力で取り組むことが前提ですが、もし将来、心からやりたいと思える新たな道が見つかったとしても、その時に改めて自分の在り方を考えればいい。牟岐での経験は、そんな風に未来を前向きに捉えるための「プラスの勇気」を私にくれました。

堀池さん: 私は会社に勤めること=働くってことだったんですが、牟岐に来てからは、なにかしらスキルを磨いて様々な視点から活動されている方が多くいることを知り、会社に勤めるだけが答えじゃないんだと感じましたし、地方で働くことも良いななんて思っています。でもだからといって今の私がなにが出来るわけではないので、先ずは会社に勤め、スキルを磨きたいなと思っています。

ーースキルはあるに越したことありませんが、スキルというよりは目的だと思います。地方に来て、牟岐に来て何をするか?何が出来るか?まだまだお若いからそこがまだ見つかっていないんだと思います。これから社会人として頑張ってください!

卒業という大きな節目を前に彼女たちが牟岐で手に入れたのは、履歴書に書き連ねるための実績ではありません。どんな環境に身を置いても自分を見失わず、他者と深く繋がりながらしなやかに生きていくための、揺るぎない「自信」であったように思います。

木村さんに連れて行ってもらった出羽島や地元の方と囲んだハガツオの食卓。そんな、何気ないけれどキラキラとした瞬間の積み重ねが、これから社会という大海原へ漕ぎ出す彼女たちの進む先を、温かく、そして力強く照らしていくことでしょう。

お二人の話を聞きながら、彼女たちがここで手に入れたのは単なる「活動の記録」ではなく、人生のどこかで迷った時にいつでも立ち返ることができる「心の寄る辺」なのだと感じました。効率やスピードが重視される都会での生活が始まっても、牟岐で知った「一次情報」の重みと、人の体温が乗った言葉の力は、彼女たちを支える確かな背骨になるはずです。

またいつか、彼女たちが「ただいま」とこの町に帰ってくる日を、牟岐は変わらぬ「余白」を持って待ち続けているはずです。その時、ひと回りもふた回りも大きくなった彼女たちと、またこの場所で新しい「一次情報」を分かち合える日が、今から楽しみでなりません。

2025年11月 徳島県牟岐町 ターンファームにて

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