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「ただ、ここが心地よいから」— 私が牟岐町とつながる理由 :鳥取大学 有賀春桜美(あるが すおみ)

今回お話を伺ったのは、鳥取大学農学部に通う有賀春桜美さん(あるが すおみ)23歳。現在は鳥取をベースとしている彼女ですが、幼少期から各地を転々として育ってきました。そんな彼女は今、関係人口として牟岐町に関わっています。どのようにして牟岐と出会い、なぜこの町とのつながりを続けているのでしょうか。その背景についてお話を聞いてみました。

幼少期から続いた移住生活と徳島との出会い

——春桜美さんはどちらのご出身ですか?

長野県出身で、子どもの頃から転々としていて出身という感覚があまりなく、生まれは徳島ではないんですが阿南市には長く住んでいました。小学校に行くために徳島県に移住してきたという背景があります。

——小学校に行くためにですか?なぜ徳島の小学校に?

少し複雑な家庭環境だったんですが、幼稚園の時に両親が離婚していて。母は『NPO法人自然スクールトエック』というフリースクールに私を通わせたかったみたいで、そこに行くために徳島県に移住を決めた感じですね。

NPO法人自然スクールトエックとは?

NPO法人自然スクールトエック
徳島県阿南市にあるフリースクールで、子どもたちが自分の興味や関心に基づいて学ぶことができる教育施設。従来の学校教育とは異なり、自由な学びのスタイルを提供しているのが特徴。トエックは全国的に数少ないフリースクールの一つであり、その特性から阿南市にはこうした自由な教育を求める家庭が移住する傾向がある。

——春桜美さんの意向というよりはお母さんが通わせたかったと。

はい、そうですね。山梨の母の知人が先に移住していて、その話を聞いて行こうと思ったのかな。それまでは長野、埼玉、石川、山梨と1年ごとに転校していました。最初は父の転勤が理由で、そこから離婚をきっかけに阿南へ定住することになりました。小学校4年生か5年生くらいのときに阿南に引っ越して、それから高校卒業まで過ごしました。あ、阿南の前は同じ徳島県の神山町に2年間住んでいて、その時すでにトエックには通っていました。毎日車で1時間半かけて通っていまして、遠いという理由で阿南に引っ越しました。

——牟岐町に関わるようになったきっかけを教えてください。

高校生のときにサマースクールに参加したのが最初のきっかけですね。それまで牟岐町には何度か訪れたことがありましたけど、ただの遊びやイベントへの参加という感じで深く関わることはありませんでした。でも、このサマースクールが、今の関係につながる最初の大きなきっかけになったと思います。

サマースクールとは?

HLAB サマースクール
サマースクールは、夏休み期間中に開催される短期集中型の教育プログラム。HLABが主催するサマースクールは、国内外の大学生がメンターとして参加し、高校生に向けた英語での授業やワークショップ、異文化交流を提供することを特徴としている。牟岐町で行われたサマースクールもその一環で、HLABの理念を受け継ぎながら、地域の大学生らが主体となって学びの場を創出してきた。

——では、牟岐町自体はもともと馴染み…というか知ってはいたんですね。

そうですね、地名も場所も知っていました。ただ、それ以上でも以下でもなく、特別な意味を持っていたわけではなかったです。でもサマースクールに参加したことで一気に距離が縮まりました。

サマースクールとの出会いと牟岐町への第一歩

——サマースクールに参加した理由はなんだったのでしょうか?

多分、当時すごい日常に飽きていて…とにかく外に出たかったんだろうと思っていて、高校生活が退屈だったというのが大きな理由です。小学生の時から自分は割と活動的っていうか、色んな大人に囲まれて育ってたから、閉鎖的な環境がすごく合ってないなって思ってて。高校も阿南の高校に通っていて、何か違う刺激を期待して行ったけど、そこが満たされるわけでもなく…辛いなって思ってた時に学校で黒板の前に貼ってあったサマースクールの説明会のチラシを見て、説明会に参加して、そこで観たショートムービーで「これは行くしかないな…」て思ったのはすごい覚えています。

——何がピンと来たのでしょう?

一番印象に残ったのは、英語が普通に話されている環境です。徳島ではそんな環境に触れることがほとんどなかったので、すごく新鮮に感じました。学校の英語の先生ですらそこまで流暢な英語を話せるわけじゃないので、それだけでもワクワクしましたし、少なくともここに行けば本物の英語に触れられる環境があるんだなって思ってたし、あとは大学生がすごく輝いて見えて、純粋に楽しそうだなって思ったから。そういう純粋にワクワクすることってあんまり学校生活の中でなかったから、チャンスがあるなら参加してみようと思って応募しました。

当時徳島県内の高校生は県内生割引があって、他の人は6万円払ったのが私は2万円で済んだんです。2万円ならいけるなと思い、お母さんに何も言わず応募しました(笑)。

——中学、高校の時に部活などの活動はやっていなかったのでしょうか?

中学、高校の時、部活はめっちゃやってましたが、なにか物足りない感じがありました。同世代と全然話が合わなくて。高校になったら変わるかなと思いましたが、それは変わりませんでした。

同級生の会話はゲームや漫画の話が中心で、私は本を読んだり、誰かとじっくり話すことのほうが好きだったので、なかなか馴染めなかったんです。休みの日もみんなでショッピングモールに行ったり、プリクラを撮ったりするのが当たり前みたいな感じで…私にはそれがすごくつまらなく思えてしまって。私はそういうのが全く興味ない人間でしたので、あとは自転車でうろうろ探検するのが好きでした。自分の思想や哲学的なことを話す人もいませんでした。

今では学校外で活動をして、やりたいことを広げていく人が増えたとは思いますが、当時はそういう人も全然いなかったので、やりたくてもそれに慣れている大人がいなくて、どこにも出られないような環境でした。

——孤独感を感じていたと。

そうですね…孤独感は感じていました。

——そんな中でサマースクールを見て、ビビッときたと。実際に参加してみてどうでしたか?

参加してみて刺激に溢れていました。特に海外の大学生が専門分野を英語で授業するセミナーは、オールイングリッシュなのでほとんど分からないのですが、ついていかないといけませんでした。それに徳島県内で同じような志を持っている高校生と出会えて、1週間話をしたりもしました。出会ったことのない世界に出会ってすごく新鮮でした。

でも自分の人生が変わったというよりは、広がった感覚が強いです。サマースクールの参加者のみんなはよく「180度変わった」と言うのですが、私はそれよりも前にそういった経験をしていたので、あまりそういう感覚ではありませんでした。より広がって深まったと思っています。

——その前にしていた経験とは?

その前は中学3年生の時、英語弁論大会で県大会3位になり全国大会に行きました。各県から3人ぐらい集められて、東京で合宿しながら大会をしました。そこで東京の同い年の子たちに会い、カルチャーショックを受けました。

そもそも大会だから、全く自分は評価されないレベルで1位をとか取った子が隣にいて「すごいね」とか話したりして。普段生きてたら出会わないような感覚をその大会で見て。それもあったかもしれない…それもあったから、より高校で「あれ?」と思ったのかもしれないです。

——ではサマースクールは、自分が思っていたほどの経験でもなかった感覚…ということでしょうか?

めちゃくちゃ良かった部分と、ある程度想定内だった部分があったので、感動は自分にとってそこまで大きくありませんでした。でも、1つだけすごく大きかったことがあって。それはサマースクールが終わってからすごく笑うようになりました。それまで感情を前に出さない人間でしたが、そこで安心したのか、誰かが見てくれている感覚を得て、愛という感情を知ったのがサマースクールでした。

人を大切にするとか、誰かを想うとか、誰かに感謝するみたいな感覚を初めて得ました。人生で初めて人前で泣いたのもそのタイミングです。

——へえ、どんなタイミングで泣けたのでしょうか?

確か閉会式でみんな泣いていましたが、そういう状況でも泣いてこなかった自分だったのに涙が出てきた時、めっちゃびっくりしました。

——その後、どうして牟岐町に関わり続けることになったんですか?

2021年にHLABのサマースクールの運営委員として関わることになったんです。今は徳島でのサマースクールがなくなってしまったんですが、牟岐町で何か新しいことをしようという話があって。そのとき、運営を担う大学生を探していて、私に声がかかりました。スタディツアーという企画をして、大学生や高校生と交流を深める機会を作りました。それが、今の関係人口としての関わりになったと思います。

——春桜美さんとしても関わりたいなと思ったんですね。

自分としても徳島で何かしたいってずっと思ってたから。

——あれ?そう言えば、そもそも春桜美さんは若干住所不定の生活を送っていますよね(笑)。

その間もそもそもどこに住んでるのかは割と不定でした。その時は本当に絶賛旅の途中だったから、話をもらった時は北海道にいたかもしれない。あれ違うな(笑)。覚えていません。

——今はどこに住んでいるんでしょうか?

今は鳥取県で普通に大学生してます。

関係人口としての今と、これから

——今はどれぐらいの頻度で牟岐町に訪れているのでしょうか?

年に4回くらいですね。長期休みのときは必ず来るし、3連休とかでも来ることがあります。何かイベントで呼ばれて来るとか。でも自発的にナチュナルに来てる時も多いですね。

——何かそうしたイベントの時に呼ばれたとかであれば、来る理由は分かりますが、自発的に来るっていうのは何か相当理由があるというか、単純に牟岐が好きなんですね。

そうですね。でもあんまり予定なくて来る事なくて。今回は友人が牟岐に来るから一番良いタイミングが今だったっていう感じだったので合わせて来たっていう。だから誰か来るとか、1回車返しに来るっていう理由で来た事はあるけど。大体何かに合わせて来ている気がします。

——そうして帰って来れるっていうは、やはり帰って来やすい環境があるいうのがやっぱりありますよね。

その環境は大きいと思います。

ターンファームという基地のような場所や、学生が寝泊まりできるシェアハウスなどもある

でも牟岐に来た時に一番最初に住んでいたのが目の前に牟岐川がある水防倉庫というところで。その時は車はないし、周りにそんな人もいないから、すごく静かな場所だなと思って。それはそれで好きでした。

——これから牟岐で何かしたいことなどはありますか?

そうですね。全然自分自身の将来のことがわかってないから、多分毎年言うこと変わると思うんですが(笑)、何か継続的に牟岐には関わっていきたいなと思っていて。例えば牟岐に来たいっていう人がいたら一緒に来るだろうなと思うし、その時イベントがあれば手伝ったりとか…それぐらいしかいまは思い浮かびません。

——牟岐町に来る若者たちと一緒になって牟岐を楽しんだり、話しをしたりってことですかね。大学卒業後の進路は決まっているのでしょうか?

ある程度決まっていて卒業後は一度東京で就職する予定です。でも東京に長くいるつもりはなくて、最終的には徳島に戻るんじゃないかなと思っていますし、戻ってきたいなと思っています。人とのつながりがあるので、何かしらの形で関わり続けるとは思います。

将来的には牟岐の山の中に住みたくて、古い家をなんとか立て直して暮らすようなことをしたいなと思っています。私は地域創生とかそういった大きな目的があって関わっているわけではなくて、気づいたらここにいて、気づいたらまた戻ってきている。そういう感覚のほうが近いかもしれません。誰かに求められたからではなく、ただここが心地よくて、自然と足が向くんです。だから、これからも肩肘張らずに流れのまま関わっていくんじゃないかなって思います。

 

有賀春桜美さんの話を聞いていると、彼女の持つ感受性の高さと、環境に対する鋭い洞察力が強く印象に残りました。彼女は「移動すること」によって自分を見つける人生を送ってきましたが、その中でも牟岐町という場所には特別な吸引力を感じているように思えました。牟岐は彼女にとって、目的を持って訪れる場所ではなく、自然と足が向く場所。その理由を深く掘り下げると、「人との距離感」と「閉鎖されすぎない空間」に心地よさを感じているのではないかと思いました。

彼女がサマースクールで経験した「英語が飛び交う場」「価値観の異なる人との出会い」は、それまでの閉じた環境では得られなかった刺激でした。一方で、それは単に新しい世界を知るということ以上に、自分の内面を開くきっかけにもなったのではないでしょうか。サマースクール後に「笑うようになった」と語る彼女の言葉は、その変化を端的に物語っています。

また、「人前で初めて泣いた」というエピソードはとても象徴的でした。それは単なる感動ではなく、「自分がここにいていいんだ」という安堵の感情だったのではないかとも感じます。それまで理性的に物事を受け止め、内面にしまい込んできた感情が、牟岐という環境の中で自然と表に出た。そういう体験は、どんなに言葉を尽くしても説明しきれない「感覚的な何か」だったのでしょう。

地域創生という大義名分ではなく、ただ「ここにいるのが自然だから」と関わり続ける彼女のスタンスは、牟岐の魅力そのものかもしれません。目的がなくても、肩書きがなくても、何かが満たされる。そんな場所があるということを、彼女の話から改めて感じさせられました。

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