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牟岐町民として中から魅力を伝えていきたい – 【牟岐町役場】田岡佑輝さん

今回お話を伺ったのは田岡佑輝さん26歳(たおかゆうき)。徳島県阿南市出身の田岡さんは現在、牟岐町役場の産業課に勤務をしています。大学時に携わった”まちづくり”や”教育”に関する活動経験が牟岐町へと移住をするキッカケとなったそうです。その経験とは一体どんなモノ・コトだったのでしょうか?

興味は”まちづくり”と”教育”

– 田岡さんは元々どこの出身でしょうか?

出身は徳島県阿南市の羽ノ浦という町です。牟岐から車で1時間ぐらい離れたところで、生まれも育ちも羽ノ浦です。

– 小、中、高も阿南市でしょうか?

そうです。小学校も中学校も高校も。高校は阿南の富岡東高校というところでした。

– 阿南市出身の方が牟岐町役場で働くことを決め、牟岐町に移住をされたわけですが、牟岐町に関わるキッカケはどこにあったのでしょうか?

キッカケはちょうど徳島大学に入った時に部活やサークルを決めたりする中で、たまたま学生団体を紹介するイベントみたいなのをやっていて、このイベントで『NPO法人ひとつむぎ』が「こういう活動を牟岐でしてますよ」と紹介をしていて、僕はちょうど”まちづくり”とか”教育”に興味があったので、では参加してみようかというのがはじまりでした。

NPO法人ひとつむぎウェブサイト

NPO法人ひとつむぎ
徳島県南部にある牟岐町を拠点に、教育やまちづくりの支援を通じた地方創生を目指して活動するNPO法人。

– まちづくりとか教育とか、そうしたコトに興味をもっていたんですね。

はい。大学は総合科学部という、結構「何でもできます」といった学部だったんですけど、その中でも僕が一番興味があったのがまちづくりで。ちょうど自分が高校から大学に進学する時に、上勝とか神山のまちづくりの本を読んでいて、そうしたコトに興味があったので。そこでひとつむぎの活動が引っかったといった感じです。

– それだと2015年ぐらいの話でしょうか?

ええーと、2017年ですね。大学入ったのが17年ですので。

– 1年生の時からひとつむぎに入って活動をしていたと。

そうですね。大学4年間ずっと活動をしていました。

– ひとつむぎ以外で他に活動はしていなかったのでしょうか?

ひとつむぎと似たような活動のまちづくりサークルみたいなのにも入っていましたけど、そちらは活動自体が長く続かなかったですね。でもひとつむぎはずっとです。1年の頃からずっと関わってました。

– ひとつむぎでは具体的にどんなことをしていたのでしょうか?大学生ということは、ひとつむぎの活動をサポートする運営の方で活動をされていたんですよね?

そうです。参加する方じゃなくて運営側としてです。イベントを企画したりとか。まちづくりと教育で分かれていて、教育の方は中学生や高校生のキャリア教育が中心ですが、勉強を教えるというよりはこどもたちに自主性とか協調性を伝えるといったことだったり。例えばこどもたちがどんどん少なくなってきていて、同じこどもたちの関係性がずっと続いていく上で、それをどうやって解決していくか?といったことが課題としてあります。これを地域の大人の方と協力しながら、こどもたちが自分たちで勉強じゃない部分で成長できるようなプログラムを考えて、最後は成果発表みたいな形でしていました。

もう一つがまちづくりで、出羽島をフィールドにして島の人のコミュニティを作れたらということで、移動できる図書館を設置したりとか。あとは聞き書きといって、こういう形(インタビューを行っているような)で島の人の話を聞いて、その人の人生を聞き残して、それを例えばお孫さんとかお子さん読んで貰って、ああ、こういう人がこういう経験したんやないうのを文字で残すといった活動をしていました。

写真提供:田岡さん

あとは出羽島だけじゃなく、町の方でも秋祭りとか町民運動会に参加したりとか、町のちょっとした困りごとみたいなのも手伝いながら2つの軸で活動をしてました。

– 田岡さんはそうした活動をすることに”楽しさ”を見出していたのでしょうか?

そうですね。まちづくりだと、イベントをやったりするとパッと目に見えて成果が見えるというか。出羽島であんどん展というのをやったのですが、その時町の方に相談して協力してやらせてもらって。そしたら島の方々も喜んでくれて。教育に関してもこどもたちの成長が見えたりしたので。そうしたことが自分の中でやりがいとなり、次に繋がっていったかなと思います。

写真提供:田岡さん

– 大学生だともっと遊びたいとかゲームをして楽しいとか、そうしたことの方が単純に楽しいことではないか?と感じるのですが、田岡さんはなんというか、まちづくりという社会の中でやりがいを感じていたのでしょうか?もしくは将来のことを考え、そうした経験がキャリアとなることを考えていたのかとか。

ずいぶん真面目な話になってしまいましたが(笑)、やりがいを感じつつ、中学生と遊んだり、町の方とご飯を食べたり。遊びの部分もあったのが続けていけた理由だと思っています。ひとつむぎが良かったのは遊びもしっかりやりましょう!息抜きもしっかりしましょう!というところがあったので、バランスよく活動できたのが良かったのかなと思っています。社会的な問題を解決しましょう!だけだったら多分続いてはいないと思います。

– バランスが取れていた環境だったからこそ続けられたんですね。

キャリアのことを考えてそうした経験を積む意識はあったかもしれませんが、単純に活動が楽しかったというのが一番の理由です。大学生だったらバイト代も入らないですし(笑)。

– なので、たまたまひとつむぎという団体が牟岐町で活動していて、たまたまフィールドが牟岐町だったから田岡さんも牟岐町で活動することになったということなんですね。

そうですね。

写真提供:田岡さん

外からではなく、牟岐町民として中から

– その後、どんな流れで牟岐町役場に就職することになるのでしょうか?

就活時に自分のやりたいことがひとつむぎに関わることで見えてきました。それは地方の発信力が都会と比べて弱い点が課題としてありました。魅力があってもそれをいろんな人に届けないとここだけで終わってしまうのが課題で、キチンと発信できるような、魅力を広げれるような仕事がしたいと思っていました。

そこで、新聞社やテレビなどのメディア関係の会社を受けましたが、実際に地域にいる人間が盛り上げないと結局まちは衰退していくことも感じていました。そうした中で、まちを盛り上げようといった若い世代が牟岐には少しずつ増えてきたタイミングだったので、例えば5年後10年後に自分が牟岐に戻り、そうした人たちと協力して盛り上げるよりも、今の時点で牟岐と関わって5年後10年後を一緒に作っていくような形ができたら、牟岐は変わるのかなと思い、牟岐町役場に入って中から盛り上げることができないかと思い就職をしました。

– 今何年目ですか?

今4年目です。

– “まちを盛り上げようといった若い世代”というお話がありましたが、そうした先駆者のような方たちがいなかったら田岡さんはもしかしたら新聞社に就職してたかもしれないと。

そうですね。牟岐にはおらん可能性の方が高いですね。牟岐には関わっていたかもしれないけど、牟岐で働くという選択肢はなかったと思います。

– 実際に働いてみていかがですか?ひとつむぎの頃とは感覚がずいぶん違うと思いますが。

最初は鳥獣担当だったんでこれが行政の仕事なんだと感じながらやっていました(笑)。2年目は商工担当で、3、4年目は農業担当と、毎年担当が変わっています。なので、ひとつむぎの時に関わってきた人と関わる人が全然違うなと感じました。商工だったら商工会、農業だったら農協と、同じ牟岐でもひとつむぎの頃とは全く違う人と関わる事ができています。

あとはひとつむぎの頃にイベントで牟岐に来た時、役場の方たちが準備とかをやってくれていて、こちらの活動をとても支えてくれてたんだと、役場に入って改めて感じました。テント立てたり、ご飯の準備を大学生が出来るように買い出しをしたりと、かなり支えてくれてたんだと感じました。

– 今は田岡さんが逆に裏方として大学生達を支えていると。ひとつむぎの時と違う、ギャップみたいなものは感じはしなかったですか?

最初は「なんでこれをせなあかんのだろう?」と思ったこともありましたが、僕は毎年仕事をする上で1年間のテーマを決めるようにしています。例えば、一昨年のテーマは”町の方との信頼関係の構築”といったことだったのですが、もともと僕は牟岐の人間ではないので牟岐の歴史を学び、牟岐の人になれることから始めようとか、いろんな人に顔を知ってもらおうとか、人と会う回数を増やそうとしていました。なので、時に自分がやりたいこととは異なる仕事も住民の方と関わったり、仕事の幅を広げられたりする機会になるので、ひとつむぎの時とは違うなといったギャップは少ないです。

– ちなみに今年の目標はなんでしょうか?

年度でテーマを決めるので、2024年の4月に決めていることなのですが、今年度は小さくても実績を残すことです。農業担当が2年目ということで、1年目に仕事をして感じた課題と町の方や関係者の方からの聞き取りした内容をもとに、新たな取り組みを行うことができました。

魅力が外に発信されていく町になってくれたら

– 休みの日は何をして過ごしているのでしょうか?今のところお話を聞く限り、いつもまちづくりのことを考えてるようなイメージですが。

いえいえ(笑)。普段は野球を見るのが好きで、阪神タイガースファンでプロ野球を見ています。あとは動画を見たり本を読んでいます。

– 釣りとか自然を満喫するといったことはないですか?

かなりインドアですが、知人にサーフィンに誘われたり、昨年は鮎釣りに連れて行ってもらい20匹ぐらい釣れました。道具を貸してもらってオトリ鮎で釣りました。あんなに釣れるもんなんやとびっくりしました。でも竿を上げる筋力が全然足らなくて、大変でしたけど楽しかったです。

写真提供:田岡さん

– へぇ。鮎釣りは難しいと聞きますが、そんなに釣れたんですね。

自然が近い分、そういう機会はありますが自発的にはやってないです。誘ってもらったら頑張るといった感じですね。

– 頑張る(笑)。最後に、将来自分や牟岐町がこうなってほしいといった展望や想いなどはありますか?

牟岐は若者がちょっとずつ増えていってるなと感じています。移住するまでは出来ない人たちも関係人口としてなにかしら関わり続けてくれています。自分も含めて若い世代が、特に牟岐にゆかりのある人じゃない人たちも増えていくような形になってくれたらなと思っています。自分みたいに何かをキッカケに牟岐で働きたい、関わってみたいと思うこどもたちが増えてくれたら良いなと思います。そして、自分が牟岐に来たときから言っていた5年後10年後に、いろんな人たちが関わり魅力がきちんと外に発信されるような町になってくれたらええなと思います。ここに自分が一緒におれたら良いなと思っています。

– そこでさっきのギャップの部分について改めてお聞きしたいのですが、田岡さんは現在牟岐に来て4年が経ったわけです。そこで5年後10年後といった視点で考えると、約5年が経ちほぼ半分の地点に立っていると言えます。そこで当時の未来は現在なわけですが、自分が想い描いていた牟岐町に近づいていますか?

あ~…そうですね…確かに半分ですね。そうして考えてみれば牟岐町は自分の想像以上になっていると感じます。これだけ若者がいるような町になっているとは思いませんでした。自分がひとつむぎの時にはほぼ1つの団体しかなかったのが、今は他県の大学なども関わってきているので、いかに動くことで変わってくるんだなというのを感じています。なのでギャップという意味では逆に広がったと感じています。ただ惜しいのは自分がそこに直接関われたかと言うと分かりません。

もちろん裏方として動いており、プレーヤーではないわけですからね。そこは形としてはどうしても見えないかもしれませんが、必ず意味のあることではあると思います。

牟岐町の5年後10年後を一緒に作っていくことを考え、牟岐町役場へと就職をし移住をした田岡さん。そこから来年でひとつの節目である5年が経とうとしています。振り返ってみると過去の牟岐より今の牟岐は「思っていたよりも大きくなっている」とも表現をしてくれた田岡さん。大きくなっているとはとても抽象的な表現に聞こえるかもしれません。ですが、”大きい”という表現に僕は多くの意味が含まれているように感じました。それは人々の動き方であったり、人々の気持ち、移住をしたいという想いや、裏で支えている人々の気持ち。そして田岡さんがそうした人たちともっともっと一緒になり、形にしていきたいという想い。こうしたことすべてがこの”大きい”という言葉に含まれているのでないかと感じたインビューでした。おそらくこれからも裏方として牟岐町を支えていってくれる田岡さんの活動に期待したいと思います。

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