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『コミュニティとしてのローカルスーパー』エストマーケット 木村昌章さん


食品を扱うスーパーは町の人の生活を支えるためには非常に重要なインフラと言えます。それは牟岐町のようなとても小さな町であればあるほど、各スーパーが持つ役割は顕著。
今回の牟岐人は、株式会社日和佐食品の代表であり、牟岐町東漁港のすぐ近くにある『エストマーケット』のオーナーでもある木村昌章(44歳)にお話しをお伺いました。
10年以上も前に日和佐(美波町)に移住をし、豆腐屋さんを継ぎ、牟岐町のスーパーを運営することになった背景をお聞きしてきました。

靴職人から豆腐屋へ

編集者
豆腐を作っていたり、エストマーケットを経営されていたり、今日は木村さんに色々とお話しをお伺いしていけたらと思っています。随分と前に日和佐に移住されたとお聞きしているのですが、もともとの出身はどちらでしょうか?

木村さん
兵庫県尼崎市という所です。

編集者
日和佐に移住されたということで、日和佐とは何かご縁があったのでしょうか?

木村さん
妻が日和佐出身だったんです。兵庫県に居る時に結婚をして、その時は靴の職人というかデザイナーというか、型を作るモデリストというお仕事を二人で独立してやっていました。
兵庫に居る時に長男が生まれたんですが、アトピー体質というか、ちょっと耳が切れたりとかしてて…で、妻の実家に帰ってきてたらその体質が改善されることが多々あったんですよね。そんな体験があったから子供のことも考えて、仕事も辞めて『もうこっちに移住するか!』と決めて。波乗りでも良くこっちに来ていたから趣味も両立出来るし丁度良いなと思って。それで豆腐屋をやることになったんです。

編集者
靴のモデリストから豆腐屋さんとはかなり振り幅の大きな転職だと思うのですが、なぜ豆腐屋さんをやろうと思ったのでしょうか?

木村さん
妻の親父さんが豆腐屋を一人でやっていてそれで。

▲豆腐を作っている所を見学させていただきました。

編集者
なるほど!そうなんですね!先代は日和佐食品という名前でやっていたんですか?

木村さん
その時は原豆腐店という名前やったね。
もうだいぶ続いてて70〜80年ぐらいやってるんちゃうかな〜。おばあちゃんの世代からずっとやっている豆腐屋さんだったんで。
それで、親父さん一人でやってるし、ボクもやらせてもらおかなと思ってやり始めたんです。

編集者
へ〜、転職というかそれが豆腐を作るキッカケだったんですね。

▲国産大豆のみを使ったこだわりの豆腐も販売しています。

木村さん
そうそう、今から16年前ぐらいかな…

編集者
移住されたのも16年前ってことなんですか?

木村さん
移住して確かそれぐらい経つかな…長男が1歳になっていないぐらいの時やったからそれぐらいやね。
今でこそ日和佐は移住者が多くなっているけど、その時はまだ移住者とか全然いなかったから、空き家とか探しても誰も全然対応が出来んかったですね

編集者
最初はどこを頼りに行ったんですか?役場ですか?

木村さん
そうそう、役場に行って『移住したいんやけど』と聞いたら、そもそもそういう部署もまだない時代だったから向こうもどう対応していいのか分からないような状態で。
知り合いづてに空き家を探してくれたけどなかなか見つからんかったから、妻の豆腐屋の実家があるから一先そこに住まわせてもらって。
そのうち知り合いに紹介してもらった空き家が見つかったから、住まわせてもらって。それで今でもそこに住んでます。

潰れるスーパーを買い取ってエストマーケットへ

編集者
では今はその豆腐店を継がれたってことなんですか?

木村さん
そう。名前は原豆腐店から株式会社日和佐食品になったんだけど。

編集者
それでエストマーケットも経営されている訳ですが、エストマーケットを経営することになったのはどういった経緯があったのでしょうか?

木村さん
もともとボクが日和佐食品という名前で、国産大豆を使って手作りで豆腐を作っている時に、以前の店名『虹の城』に作った豆腐を納品していたんです。
でも『虹の城』が潰れることになってしまって、その時に知人から『やったら?』と話を振られて。その時は資金も無いし難しいよな〜となったんだけど、フードショップみなみ(日和佐にあるスーパー)にお世話になって、2年ぐらいで買い取ることになったので、それに合わせて会社にして株式会社日和佐食品としてやり始めたのが、エストマーケットを経営することになった始まりですね。

▲牟岐東漁港の近くにあるスーパー『エストマーケット』。お話しをお伺いしている時も地元のおばちゃんが頻繁に出入りしていました。表の絵は友人が描いてくれたそうです。

編集者
エストマーケットとしてスタートしてからはどれぐらい経つのでしょうか?

木村さん
もう7年ぐらい経つのかな?会社を設立してからは5年ぐらいだから。

基本は近海で獲れた海産物を

編集者
木村さんはエストマーケットではどんなことをされているのでしょうか?

木村さん
主にお惣菜を作ったり、鮮魚を用意したり。

編集者
へー、お惣菜を作っているんですね。

木村さん
朝は鮮魚をやって、昼からはお惣菜。

編集者
今、エストマーケットで働かれている人はどれぐらい居るのでしょうか?

木村さん
全部で10人ぐらいかな?

編集者
鮮魚の仕入れはどうしているのでしょうか?

木村さん
鮮魚は主に泉源からだったり、週末は自分で漁協に買いに行ったりしてますね。宍喰の方まで。

泉源とは?

牟岐町の鮮魚や水産加工品を扱う老舗
https://izugensakana.com/
編集者
徳島市の方に仕入れに行ったりはしないのでしょうか?

木村さん
しない。基本的にはこの辺で獲れた魚だけを使うようにしているから。
なかなか種類や数も限られてくるけどね。

編集者
最近だと何が良いですか?

木村さん
スマやね〜。スマが美味いな〜。

エストマーケット情報

【電話】 0884-72-2202
【営業時間】 9:30~19:30
【定休日】 不定休

サーフィンと犬の散歩

編集者
プライベートではどんな過ごし方をしているのでしょうか?やっぱりサーフィン中心ですか?

木村さん
んーそうやねー、サーフィンが多いかな。
あとは最近、友達の家に犬が捨てられとって、それを保護したから散歩するのが楽しい(笑)
可愛くて仕方がなくて職場にも連れてきています。

▲とにかく可愛くて仕方がないという保護したワンちゃん。每日散歩しているそうです。

編集者
豆腐作りからエストマーケットの経営…しかもご自身で現場に立ち、鮮魚やお惣菜を作っているとなると相当忙しいと思うのですが、その中でのサーフィンはタイミング次第で限られてくるとは思いますが、どれぐらいの頻度でやれているのでしょうか?

木村さん
ん〜、基本朝は仕事だから無理で、行けるとしたらこの時間(14時)から夕方ぐらいまで。
夕方からはまた仕込みをしなきゃいけないから、その間に行ってるって感じかな。
だから波がある時はしょっちゅう行ってる(笑)。

編集者
隙を狙って行ってるんですね。

木村さん
そうそう、よくサボっていると勘違いされるけど(笑)

編集者
やっぱり内妻が多いんですか?

木村さん
そうやねー、やっぱ近いから波があれば内妻に行くことが多いね。
まあけど最近は犬の世話やね(笑)散歩が楽しくて仕方がない。

チェック!

牟岐町のサーフポイントといえば内妻海岸
遊ぶ | 牟岐人 – MUGIZINE

スーパーをコミュニティとして

編集者
最後に、エストマーケットを運営されることになって牟岐町との関わりが増えたと思うのですが、牟岐町の印象など何かありますか?

木村さん
最初に思ったのは皆言いたいことを言うな〜と言うのが印象的でした。
例えば『今日天気悪いのに店開けるん?』とか。そこで『店開けんと困るやろ』とか返すと必ずお店に来てくれる。

編集者
ヘ〜。

木村さん
『これ美味しくないな』とか言われることもあるけど、『ほなもっと美味しいの作るわ。こっちは美味しいで』って言って食べると『美味しいわ、買うわ』って買ってってくれるし。

編集者
あーなるほど!素直なんですね。

木村さん
最初はキツイと感じる人には感じてしまうかもしれないけど、コミュニケーションを取ってみたらキツイというより素直な人が多い。
牟岐町のこんな端っこにあるお店やから、儲かるお店をしたいんだったらボクがここにおる意味はないと思っていて。
だから『元気しとったん?』っていうコミュニティとしての役割をこのお店が持ってくれたり、流れを作ってくれたらボクは良いと思ってエストマーケットをやっています。

兵庫から移住、仕事を辞めて豆腐屋さんに転職、そしてローカルスーパーを経営。
これらすべてを形にしていくには多くの時間と努力、根気が必要だったと容易に想像が出来ますが、木村さんは笑いながらお話しをしてくれました。また『大変だった』とは一度も話すこともなく、終始楽しそうにお話しをしてくれた人柄がとても印象的でした。

今回の牟岐人

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木村 昌章(きむらまさあき)

株式会社 日和佐食品 代表
エストマーケット オーナー

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