「百聞は一見に如かず」よりも「百聞は一験に如かず」を大切にしている
たか鍼灸整骨院院長 平井孝史(ひらいたかし)さん38歳
今回は牟岐町のショッピングセンター「ポルト」にて鍼灸整骨院を営む、院長平井孝史さんにお話をお伺いました。
平井さんは牟岐町生まれですが、一度大阪に出て牟岐に帰ってきた、いわゆるUターン組。そんな平井さんはどんな思いや考えがあり、Uターンをされたのかお伺いしてみました。また、お子さんとの活動も活発にされているとのことをお聞きしていましたので、そちらもお話をお伺いしてみました。
大阪に出る時から牟岐に帰ってくる前提だった
平井さんのご出身は牟岐町でしょうか?
そうです。
ずっと牟岐町に住んでいらっしゃるのでしょうか?
高校まで牟岐町に住んどって、高校卒業してから資格を取りに大阪に出ましたね。
最初に短期大学に。鍼灸(しんきゅう)の短期大学があって、そこで鍼と灸の資格を取って、専門学校に働きながら3年間夜間に通って、柔道整復師の資格を取りましたね。
柔道整復師ってなんでしょう?
柔道整復師って、柔道を教えよる人らが脱臼などを直しよったことから出来た国家資格なんやけど、この資格のおかげで骨折とか脱臼、捻挫、打撲、挫傷なんかの整骨院なんかで診るような症状を診れるんです。だから働きながらその資格を取るために夜間に学校に通っていたんです。
当時はどんなお仕事をされていたんですか?
今と一緒(鍼灸整骨院)。鍼灸と針の資格を持っとったんで弟子みたいな形で働かせてもらって。5年ぐらい働いてたかな。で、地元に戻ってやりたいからって辞めさせてもらって、牟岐に帰ってきたって感じですね。
なるほど。地元に戻りたいってのはどんな理由だったのでしょうか?
理由か〜。もともと大阪に出る前から牟岐には帰ってくるっていう前提があって。ほんまは徳島から出たくはなかったんやけど、資格を取るためにはしゃーなかったから。それで、当初の予定では鍼灸と針の資格を取って3年で帰ってこようと思ってたんやけど、この資格だけではどうにも商売的に勝負もできんしってことで、結局もう一個柔道整復師の資格を取ってから帰ってくることになったんです。
牟岐町のような地方だと、将来的な仕事のことなどを考えると同級生の方は出ていく方が多いなかで、平井さんはなぜ帰ってくる前提だったのかがすごく興味が湧きます。
ん〜なんでかな〜笑
まぁでも一回は大阪に出たしな〜。地元が好きってのはやっぱり大きいのかな〜。もちろん同級生でも出ていかんやつもおったし、牟岐に限らず徳島市におるやつも多かったし。
確かに徳島県から出ないまでも、徳島市にいらっしゃる方は多く居ますね。平井さんは徳島市って選択もなかったのでしょうか?
ん〜無かったな〜。牟岐に帰ってくるってことしか頭になかったな〜。
やるなら(鍼灸接骨院を)牟岐でやるって決めてたし。
ということは大阪に出る前からその構想があったんですよね。
うん、ゆくゆくは牟岐でやることを考えとったな。
それってすごいですよね。当初構想していたことを計画どおりに実行しているって。
そうやって言われたらなんでなんかも分からんけど、とにかく帰ってくることしか頭になかったなー。
牟岐町のショッピングセンター「ポルト」の一画に構えているたか鍼灸整骨院。
整骨院をオープンして今年の7月で8年が経ったそう。高齢者の多い牟岐町での患者さんはご年配の方が多いが、時々運動しすぎた子供たちのケガなども診ているそうです。
自分にやれることがあるなら力になれんかったとしてもやってあげたいなって常に考えている
平井さんはお子さんを4人もお持ちになってるとお聞きしていますし、お子さんが活発に活動出来る環境作りの協力もされているとお聞きしました。
スポーツ少年団かな。バドミントンの。
ボクがメインで起ち上げたわけでは無いんやけど、もともと子供らの親がバドミントンをしたいってなっとって、ほんでバドミントンが上手い人がおってその人に話を持ちかけて。その人はすでに他の町でも監督をしとって。それでその人に協力してもらって起ち上げたって感じかな。
牟岐町だとスポーツ少年団っていくつかあるのでしょうか?
野球、バスケットボール男女、柔道もあったかな…前はバレーもあったけど、バレーは休部になって。
以前は長女がバレーをやっとったから、バレーの監督をしとったこともあって。だからすでにその時にスポーツ少年団の資格を持っていたし、次女がバドミントンを始め出したりして、それでバドミントンの方にも関わったりしてて。
バドミントン部は何人ぐらいいるのでしょうか?
今、15人ぐらいかな。
練習はどこでされているのでしょうか?
旧の牟岐小の体育館ですね。
バドミントンの練習風景の様子。
スポーツ少年団にはバレーの時から関わるようになったのでしょうか?
バレーの時は監督がいなくなってしまって…監督がいないと子どもたちも活動できんくなってしまうから、であれば自分がやろかーってなって。
ご自身でお仕事もされてるなかで、そうした活動をするにはどうしても時間が必要になってくると思うのですが、時間が無くて大変とかそうしたことはなかったのでしょうか?
ん〜、まぁ別に大変じゃないかな。
えーー!そうなんですか!
なんだろ…自分もバドミントンが好きでやっていたりするから、教えると同時に自分も楽しんでるみたいな感じかな。
小学校は野球して、中学校はバスケ、高校はバドミントンしてて。色々とかじっていくのが好きで(笑) ほんでなんやかんやでバドミントンに戻ってきたんかなって…
今やったらサーフィンするし、マラソンもするし、ロードバイクもするし。
すごい!めちゃくちゃ多趣味なんですね。それなら尚更例えばサーフィンを優先したいとか、そもそもサーフィンをする時間ってあるのでしょうか?
うん、その時に出来ることをしていくって感じかな。今だったら朝サーフィンしてから仕事して、それからバドミントンを教えて、その後自分がバドミントンをすることも全然出来るから。これからだったらイカ釣りなんかも楽しくなってくるからもちろん行くしね。
今、バドミントン部の活動の頻度はどのぐらいなんでしょうか?
週に3日で火、金、土。で、大人がやっているバドミントンは火と土。
だから例えば火曜日はバドミントンは18時から20時なんだけど、仕事が19時までだから、途中から行って20時までやって。そこから大人のバドミントンを2時間やって22時に家に帰るっていう感じかな。
一日動きっぱなしじゃないですか!
そーやねー(笑)そういう方が好きというか。
写真を撮影させてもらった日も19時半ごろに仕事を終えて、そのままバドミントンの練習へ。
教えている平井さんも、子供たちも真剣そのもので、この活動の真剣さを僅かな時間で垣間見ることが出来ました。
そういう性分なんですね。
そーやねー(笑)
ご自身が楽しみながら子供が活動出来る環境を同時に作っていると感じるのですが、子供の将来のことなども考えての環境作りだったりするのでしょうか?
将来…いや〜…う〜ん…そういうわけではないかな。
子供が何もしないならそれはそれで良しとするし、これをしないかんってこともないし、自分がバドミントンしてたりするから子供が一緒になってしてくれた方が助かるってぐらいかなー。もちろん、何か全然別のことをやりたいって言うならやったら良いと思うけど。
あれ?そうなんですか?てっきりご自身の子供たちや牟岐町の未来のことを考えての行動なんだと思っていました。
というよりも自分にやれることがあるなら、力になれんかったとしてもやってあげたいなって常に考えているし、誰かに必要とされるならやいくっていうスタンスでいるだけかな。
「百聞は一見に如かず」って言葉があるけど、自分は「百聞は一験に如かず」って考えてて、何でも一度は体験せんと分からんから、とりあえず一回は体験してみようと思ってやっているし、子供たちにもそう伝えるようにしている。だから自分に何か話が来たら出来るか分からんけどやってみようと思ってやっています。
なるほど!
おせっかいな牟岐町が好き
最後に牟岐町の良いところってなんでしょうか。牟岐町に帰ってくる前提で資格を取っていた平井さんの地元愛が非常に気になります。
牟岐町の良い所はやっぱり皆がおせっかいな所やな〜。こうしてあげよう、ああしてあげようってのがめっちゃ前面に出てくるから。
去年は中学校のPTAの会長をやらしてもらった時に、目に見えん会なんかがたくさんあって、大人皆がそれだけ子供のことを考えるんやな〜と実感したな〜。そんなことは多分大阪におったら考えられんかったし。
大阪はほとんど横の繋がりが無くて、ただ仕事してただけで、休みの日は「うわ〜今日何しよかな…」みたいな感じで。そこでロードバイク始めたりして、会社の人と100km走ったり山行ったりして。だから牟岐にもしょっちゅう帰ってきとったし。
牟岐に帰ってきてどんなことをされてたんですか?
サーフィンしたり、ただ仲の良い友人たちと他愛もない話をしたりして。ほんであんまり大阪には戻りたくないから帰る時間が妙にかかったりして(笑)
平井さんって牟岐が本当に好きなんですね。
大阪での自分の経験があったりするから、子供たちが大人になった時に「牟岐の大人たちはおせっかいだったな〜、また帰りたいな〜」って思ってくれたら町としても良いだろうし、自分もうれしいな。
でも子どもたちは一度は外に出た方が良いと思うし、色んな経験をした方が良いとは思う。その時にそれぞれが何を感じるのかが大切なのかなと思ってます。
今回平井さんにお話をお伺いして非常に感じたことは、牟岐町が本当に好きなんだなということ。生まれ育った地元が好きで、ただそこに住んでいたい。そういった印象も感じました。
また「百聞は一験如かず」という考え方も素晴らしいものを感じました。この情報革命が起きている昨今、なかなか多くのことを実際に見る機会も、体験していくことも難しくなってきているなかで、こうした考え方をもって実際に行動しているのはなかなか簡単なことではありません。
こうした大人が牟岐町の子供たちの活動に関わっていくことで、きっと子供たちにも大切な「何か」が伝わっていくのだと思いますし、何よりこれこそが横のつながりを感じられる地方の強みなのではないでしょうか。