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燃え上がる火柱!正月明けに行われる左義長の様子

正月もあけた1月の折り返しのある日、左義長が行われるとのことで牟岐の港へ行ってきました。

ある日自宅の郵便受けに町内会のお知らせが入っていたのですが、その中に「今年の左義長は〜〜行いますのでご参加ください」との文字がありました。その左義長の様子、準備から一部始終をご紹介しましょう。

毎年行われる左義長

『左義長(さぎちょう、さぎっちょ)』は、地域によっては『どんど焼き』や『道祖神祭り』とも呼ばれる火祭りの行事です。僕は今までの人生で馴染みがなかったのでとても新鮮に思えるのですが、この行事は1/15の小正月に全国各地で行われている、伝統的な季節行事なんですね。

左義長 – wikipedia

牟岐町内でも牟岐西、牟岐東、古牟岐、出羽島といった各地域で毎年欠かさず行われています。実は昨年も僕は左義長を体験した(西の左義長)のですが、昨年は残念ながら土砂降りの雨に見舞われてしまったのです。この記事では触れてませんが、その時の様子も中々ダイナミックでしたので、気になる方は是非六角舎まで写真を見に来ていただければと思います。

2016年左義長 − 前日・準備の様子

2016年は、晴れ渡った中での左義長となりました。今年は現在住んでいる東の左義長に行ってみることに。

準備開始時刻には既に、東地区のおっちゃん達が柱の本体部分を組み立てていました。

抜群のチームワークで立ち上げられていく本体。先の部分にワイヤーをつけ、3方に引っ張って固定しています。

これに限ったことじゃないのですが、皆さんの仕事の早さ・巧さには『スゲエ…』と思わずにはいられません。

こちらが直立した本体部分。竹の柱を中心に、シダ類を積み上げていくのです。

一番上には『宝来山』の書が。これは元々『蓬莱山』という仙人の住む山になぞらえて縁起をかついでいたのが、いつの間にか「宝が来る山」になっていたらしい。そしてこの書が燃えるほど、上がる炎が高ければ高いほど縁起がいいとのことなのです。こういうエンターテイメント性のある祭りっていいですよね。

積み上げられるシダの束。昔は各家庭で”シダ刈り”に行き、所定のノルマ量を持ち寄っていたそうです。

そして。左義長は「縁起ものを一緒に燃やす」のです。しめ縄、御札、門松などなどが家々から集められてます。

お札もあります。

僕も実家付近でもらった(いつのかわからない)お札があったので持ってきました。

ただ、なんでもかんでもっていうわけでもないようです。燃やすと臭いビニール、燃やすと祟られそうな人形などですね。

橙も入れちゃダメなようです。見るからに燃えにくそう。

神事としてご祈祷もされ、来た人にはお神酒が振る舞われています。

お神酒の横には食べ物もありますね。

これは牟岐の海で獲れた連子鯛(レンコダイ)。こちらはそのままお供えするだけですが…

となりにある膾(なます)。これはお神酒と同様、自由に食べてもいいんです!一口いただいてみると、めっちゃ旨い!いい塩加減の人参・大根に染みこんだジャコ出汁の旨味、柚子酢の香りがたまらん!!これは一口では済みそうにない。

ということで、左義長前日は近くの家からしめ縄・お札などを持ってくる人が後を絶たないのです。

このあと翌日に点火するのですが、本来の牟岐の左義長は「しめ縄などの回収と、前日から絶やさずに灯し続ける火の番を子どもが担う」という習わしがあります。また子どもだけでなく大人も一晩中飲み語らいながら寝ずの番をします。少子化で絶えてしまったところが多いのですが、西の左義長は現在もこの伝統を続けています。

2016年左義長 − 当日・早朝

2016年1月15日、朝5時55分。まだ辺りは真っ暗ですね。

ですが左義長の行われる周辺には、20〜30人ほどの人が集まっています。

町に6時のチャイムが鳴った瞬間。点火されました。点火から十数秒の様子はこちら。

今朝はよく晴れ、乾燥し、そして風も出ています。

あっという間に燃え上がる火柱。

そして避けようのない量の火の粉が降ってくる。左義長を見に行かれる方は、フリースなど化学繊維の服は十分ご注意したほうがいいでしょう。

と、『宝来山』が今にも炎に包まれて…

見事に焼き尽くされました。

燃えている最中にしめ縄やお札を持ち込むのもアリみたいですね。

ものの数分で、真ん中から上の方は燃えつきていました。

火を囲むように見守る人達。火は恐ろしいものですが、見ているとなんだか落ち着きます。

これでも十分な迫力ですが、驚くべき事実が。

「昔は、大きさも高さも今の数倍あったんよ。真ん中の柱は竹やのうて、杉や檜を打ち立てたけんな〜」

…なんということでしょう。怖くて近寄れないレベルじゃないか。

6:20頃、最後に残った頂上の部分も…

燃えてしまいました。

うず高く積み上がっていたのが嘘のようですね。

7時前には段々空が白んできてます。山の方から群れ飛んでくるのはトンビ。

残った熾火は堤防の下へ落として燃焼させています。

まだまだ真っ赤に熾っている火。

昔はこの火を家庭に持ち帰ってお茶を沸かしたり煮炊きをしたりして、1日のスタートをきることまでが、行事の締めくくりだったそうです。他には焼きミカンをして風邪予防、という習わしも。

気づけば、あれだけすごかった火も最後は焚き火程度にまで収まっていました。

その後。昼ごろ港へ向かうと…

すっかり燃え尽きた灰が、容器に入れられてました。この灰を畑に撒いて肥料にするそうです。

ダイナミックな焚き上げが印象的な、左義長祭り。でも左義長の本当の役割とは、地域の人々を結びつけ、毎日の生活の安泰を願うための心の通った行事なのだと感じました。

 

ちなみに牟岐の左義長、今年から牟岐の西地区では1/14〜1/15ではなく1月の第二土曜〜翌日曜に開催日程が変更されているそうですので、次回以降ご参加の方はご留意を。

左義長(牟岐東)詳細情報

【開催時期】その年の小正月(1/15)の早朝6:00から点火

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