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『牟岐町の事が大好きなので、現状守れるモノは出来る限り守っていきたい』牟岐町防災サークル 上田好美さん


どんな町にも必ず活発に活動をする人が居ます。町全体で活動するのか、もしくは各地域で活動するのか、その人が目指す先によって活動の幅は大きく違ってきますが、牟岐町にもそうした人は多くいます。
そうした人のお陰で出来ないことが出来たり、実はそうした人のお陰だったんだということは、田舎の町であればあるほど多くあるのです。
今回の牟岐人である上田好美さん(63)も正にその一人。牟岐町に生まれ、牟岐町が大好きで、教員として定年を迎えた今は、『牟岐町防災サークル』の代表として活発に活動をされております。そんな上田さんにお話しをお聞きしてきました。

県内のあちこちを回った教員時代

編集者
牟岐町防災サークルで活発に活動されているということをお聞きしておりますので、今日はそんなお話しをお伺いできたらと思っております。上田さんのご出身は牟岐町なのでしょうか?

上田さん
そうです。牟岐町の東地区です。

編集者
生まれた頃からずっと牟岐町に住んでいらっしゃるのでしょうか?

上田さん
ずっと牟岐町ですね。

編集者
学生時代はどこか出たりってのも無く?

上田さん
あー!大学は山梨県の都留文科大学という所に行っていました。

編集者
へー山梨!なぜまた山梨だったのでしょうか?

上田さん
不純といえば不純なんですが(笑)、徳島大学が教育学部があったので、徳島大学を目指していたんですけれど勉強が嫌になって(笑)
それで都留文科大学の推薦があったので、東京も近いしってことで受けたら受かってしまったので、これは行くしかないなということで山梨に行くことになったんです。

それでまたその大学がすごく良くて!人との繫がりのある田舎の町だったりもしたので、大学生を大事にしてくれる町の雰囲気もあり、すごく濃かった大学生活でしたね。サークルやって地域の人と仲良くなったりして。お世話になった人たちと未だに付き合いがあるので山梨に行くこともあるんですよ。

編集者
へ〜それはすごいですね!
大学を卒業してからはどんな道に進まれたのでしょうか?

上田さん
臨時教員になって県内をあっち行ったりこっち行ったりしていました。

編集者
大学に居る時に教員の免許を取られたんですね。
県内というのは大学を卒業して徳島県に帰ってきてということでしょうか?

上田さん
そうですね、大学を卒業したので徳島県に帰ってきました。
もう県内の学校あちこち行きましたよ。徳島市内やら那賀町やら…あと美波町の阿部(あぶ)の方にも行っていたりしました。

編集者
へー、イザリ地区の方ですよね。
牟岐からはかなり距離があると思うので、その時は牟岐から通っているわけではなく、それぞれの地域に住まれていたのでしょうか?

上田さん
そうですね、宿舎があったりしたのでそうした所に住みながら臨時教員をしていました。その後、教員となってからは殆ど牟岐町の近くの町の学校で働いていました。

ただ牟岐町に住んでは居たけれど牟岐小学校には17年ぐらいはいなかったので、実際牟岐の人たちと知り合える機会ってのは圧倒的に少なくて。退職前には絶対に牟岐町に戻ってきたかったという想いがかなり強かったですね。折角牟岐町に住んでいるのに、それではちょっと寂しいなと感じていたので、ずっとお願いをしていたのもあり、退職前には牟岐小学校に3年間居ることが出来ました。

▲牟岐町には牟岐保育園・牟岐小学校・牟岐中学校が一緒になった市宇ヶ丘学園がある。

定年退職後に防災サークルを起ち上げて

編集者
今は定年で退職をされてたので防災サークルを始められたんですね。
そのような活動をしていこうと思ったのはいつ頃からなのでしょうか?

上田さん
教員時代から牟岐図書館で行っている『おはなし会』は当時からのメンバーでずーっとやっていたり、水泳教室の指導員が足りないと言われたら行ってみたり、そういったボランティアは日頃から頻繁にやってはいました。それで退職したら何をやろうかなと考えていた時に、防災についての意識はまだまだ高いとは言えないなと感じていたので、退職を機に防災サークルを発足したんです。そしたら教え子たちも参加してくれたので、そこから始まりまして今年で3年目になります。

編集者
それが牟岐町防災サークルの始まりなんですね。
防災サークルではどのような活動をしていらっしゃるのでしょうか?

上田さん
やりたいことをやっていこー!と当初考えていたんですが、こういったサークルを立ち上げるとありがたいことに南部県民局や徳島大学の地域防災に携わる方など各方面からお声がけを頂きまして、これはどうですか?あれはどうですか?って結構声をかけてもらって活動をしています。

編集者
例えばその活動とは具体的にはどんなことなのでしょうか?

上田さん
一番最初の活動は南部県民局からDVDを作りたいと声をかけていただいたので制作のお手伝いをしました。
南海トラフの体験者のお話しの聞き取りだったんですが、それをまとめた物をDVDにしたんです。それを聞き取りしていたのは防災サークルのメンバーの中学生たちでして、夏休み中だったんですがそうした活動に取り組んでいましたね。

▲こちらがそのDVD。教育向けに使用されているそうです。

編集者
ではこれは学校の授業とか防災についてのイベント時に使われているんですね。

上田さん
そうですね。県南の各市町村には配布されて使用されていると思います。

編集者
しかし最初からいきなりすごい大役ですね!

上田さん
そうですね(笑)

編集者
中学生たちもそうしたことに積極的に参加しているのはすごいことですよね。どんな意識というかモチベーションで参加しているのでしょうか?というのもボクが小中学生だったら夏休みは絶対に遊びたいので(笑)

上田さん
なんでしょうね。割と何にでも興味のある子たちなので、声を掛けたら『します!』って。
しらたま活動というのにも参加をしているので、とにかく色んな社会活動に興味があるんだと思います。

編集者
素晴らしい子たちですね。見習いたいです(笑)

上田さん
こうした子たちは部活もしているから日程がすっごい大変です(笑)

編集者
他にはどのような活動をされているのでしょうか?

上田さん
防災キャンプというのを毎年行っています。
こちらも南部県民局の方に来ていただいてブルーシートを使ってテントの張り方を学んだりしています。楽しく防災を学ぶことが出来るので子どもたちも一番楽しみにしてくれているイベントです。

▲そうした活動記録は写真に収めたり、印刷してまとめているようです。

 

防災への想い

編集者
確かにひと言に防災というとなんだか小難しく考えてしまう可能性も否めませんが、キャンプという形であれば子供に限らず大人も一緒になって、楽しみながら防災を学べそうですよね。ボクも山暮らしなのでナイフの扱い方から火の起こし方まで、日々楽しみながら学ぶようにしています。
しかし何故上田さんはサークルを起ち上げるまでして防災に取り組むのでしょうか?防災への想いなどをお聞かせ頂けたらと思うのですが。

上田さん
南海トラフ地震がいつか来ると言われている中で、やっぱり誰かが防災に取り組まない訳にはいかないなと思うんです。
私は牟岐町の事が大好きなので、現状守れるモノは出来る限り守っていきたいなと思っているんです。だからもし南海トラフ大地震が来てしまった時には、絶対逃げてほしいし、助かってほしいなって思うんです。
以前に東北の女川に訪れ、何も無くなってしまっている光景を見た時に、これはなにかしなくちゃいけないと思ったのもありますね。

編集者
東日本大震災前からも防災に対する意識はあったのでしょうか?

上田さん
ありました。父親の影響もあります。小さい頃から戦争と地震、津波の話はずっと聞かされていたので。

昭和南海地震の体験を、今日からの防災に生かす。


▲以前お話を伺った中山さんは、上田さんの父親なのです。

編集者
では上田さんの意識の中にはそのお話しが一番強く残っているのかもしれませんね。

上田さん
そうなんでしょうね。

編集者
そこで自分でも何か出来ることは無いかと考えた時に防災だったということなんでしょうか?

上田さん
小学校の教員をやっていると自然と防災の事も取り組んだりするんですよね。
ただ学校だと出来ることも限られてくるので、それを今は仲間もいるので一緒になって自発的にやっているという感じです。
また全国の防災の会にも何度も参加させてもらったりしたのも大きかったかもしれません。
その会の中で、子どもたちは防災に限らず、自分がひとつのことをやりたい!と思ったらすごく前向きになる傾向があって、そうするとそのことだけじゃなくて、学力などの他のことも相対的の伸びていくというお話しを聞いたりしたので、そうなんだーと関心したりして。
実際、牟岐町防災サークルの中でもインタビューの回数を重ねていくうちに『おっ!』となったりしました。

編集者
あーなるほど。人見知りだった子が子供の時にある程度体験しておくと人見知りしなくなったりとかしますもんね。

上田さん
そーそーそーなんです。
全然前に出てこなかった女の子も、オンライン会議をしていたら今では『次はわたしね』って前に出るようになったんです。だから私も安心して任せることが出来るようにもなったんです。

編集者
子供たちのそんな成長が見えたらスゴいうれしいですね。

▲今までの活動記録をこのような大きな用紙に。『この時はねー…』と過去の活動を色々と説明してくれる上田さん。

川で泳いでいた昔の記憶

編集者
では最後に上田さんは牟岐が大好きとおっしゃられたり、そもそも帰ってくる前提で大学に行かれていたりして、牟岐への愛を非常に感じるのですが、なぜそこまで牟岐への想いがあるのでしょうか?

上田さん
昔は自然が今よりも豊富で色んな所が遊び場で、川で泳いではそのままお風呂屋さんに行って。そこで何時間も近所のおばちゃんとしゃべって帰ってきては親に怒られるっていう(笑)隣の家とも隣り合わせだったので、今日は隣の家でご飯食べてくる、じゃ明日は家でみたいな感じで、とにかく近所との距離が近くて濃かったんです。そういう生活がすごく楽しかったのが今でも心に残っているんです。

編集者
なるほど、そういった思い出が上田さんにはあるんですね。

上田さん
ただ今は仕事がなかったり、働く先もなかったりするから、牟岐で暮らしていくことは簡単なことではないのかもしれないけど、時々帰ってきたり遊びに来たりしたら、常に何かあるようにはしておきたいですよね。

一時間ほどインタビューをさせていただきましたが、とても明るく色んなお話を聞かせてくれる様子は流石は元教員という印象でした。
また上田さんの言葉から何度も『子どもたちが…』『牟岐が…』といった言葉が出てきていたのは、それだけ子どもたちや牟岐のことが好きなんだなとも感じました。
そして昔の牟岐を懐かしむ上田さんの様子をみると、その時の牟岐を見ることが出来ない寂しさがあります。
ただこうして『MUGIZINE』を通して多くの牟岐人にインタビューをしていくことで、10年後20年後の未来へ『昔の牟岐』を届ける事のできる価値をボクは再認識した次第です。

 

今回の牟岐人

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上田 好美(うえたよしみ)

牟岐町防災サークル
代表

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