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大学生らの歪さや面白さを感じて触発された – NPO法人牟岐キャリアサポート 大西浩正さん

大西浩正(おおにしひろまさ)さん 56歳

教育支援のための中間支援組織「NPO法人牟岐キャリアサポート」の理事長として、大学生と行政・学校の間に入っての調整や牟岐中学校の総合的な学習のコーディネート役を務める大西さん。また、牟岐町で活躍している大学生を中心とした「NPO法人ひとつむぎ」の設立に関わり、学生たちのサポートを何年も前から続けています。

牟岐町の「教育」の分野に大きな貢献をしている大西さんですが、実は牟岐町に住んでいる訳ではありません。
なぜ牟岐町民ではないのに牟岐町に関わってくれているのでしょうか。今回はそんなお話を中心にお聞きしてみました。

牟岐町と関わるキッカケになったのはHLAB TOKUSHIMA

編集者
牟岐町にお住まいではないと伺っております。
今お住まいはどちらなんでしょうか?

大西さん
北島町に住んでいて、週に3日ほどは牟岐町にいますね。

編集者
北島町なんですね(北島町は牟岐町から車で約1時間30分ほどの町)!
牟岐町には通いで来られているんでしょうか?

大西さん
牟岐町では宿泊出来る場所を利用していますね。週末に牟岐町でひとつむぎの事業がある(活動)が多く、平日は週2、3日が牟岐、残りがひとつむぎの事務所がある徳島市にいます。

NPO法人ひとつむぎ

徳島県牟岐町を中心に、教育やまちづくりの支援を通じた地方創生を目指すNPO法人
NPOひとつむぎウェブサイト
編集者
率直な質問ですが、なぜ牟岐町とこんなにも関わって下さるのでしょうか?
県の職員をされてたとお聞きしていますし、物理的なことも考えると大変なことも多いと思います。

大西さん
牟岐町と関わるきっかけになったのは、2014年に開催されたHLAB TOKUSHIMAですね。徳島県教育委員会在職中の2013年にHLABの誘致に関わりました。

大西さん
HLABが最初に開催された2014年夏には、私は別の部署に異動していましたが、それ以前から関わりをもっていましたのでサポートを続けていました。その時運営の関わっていた大学生の一部から「地元の方々に一週間お世話になったのに、そのままさよならでいいのか。何らかの形で恩返ししたい。」との声があがり、彼らの相談に乗りながら立ち上げたのが「NPO法人ひとつむぎ」です。

2015年第一回通常総会後の集合写真。ひとつむぎ初期メンバー、過半数以上が県外大学から参加。

2015年春、ひとつむぎが中学3年生対象の「シラタマ活動」に着手。大学生指導のもとアイデア出しの作業に取り組む中学生。

編集者
大西さんはその時まだ県の職員をされていたと思います。
ボランティアとして学生らのサポートをしていくのは簡単ではなかったと思いますが、なぜそのようなお気持ちを持つことが出来たのでしょうか?

大西さん
何故かと言われても(笑)人との繋がりなんでしょうね。
設立当時、ひとつむぎのメンバーは大阪や神戸に住んでいる者もいて、自分たちで旅費を工面して牟岐に来ようとしていたんですよね。そんな姿をみたら何とかサポートしてやりたいという気持ちになりますよね。牟岐町教育委員会の方々が学生たちの熱意をくみ取ってくれて、活躍する機会を与えてくれたのです。行政は上から下に政策を下していきますが、牟岐町教育委員会の方々は大学生の熱意を地べたから拾い上げてくれました。もう採算度外視で協力するしかないですよね。仕事とは別に熱くなれるところがあってもいいかと思えましたし。

編集者
以前からそうしたお気持ちって大西さんの中であったのでしょうか?

大西さん
HLABに参加する大学生には、良い意味での歪さや面白さを感じました。大人にはない要領の悪さと裏返しに、とんがった異才のようなものを感じました。そこに魅力を感じましたし触発されましたよね。ですから、30年余り県庁で勤務してきたキャリアをぶち壊されたところもありました。

2016年春、東大生を含むHLAB TOKUSHIMA2014メンバーらがゲスト参加して開催した中高校生向けワークショップ。テーマは「VS東大」。

50歳を前にしてもう一度蘇ってきた

編集者
そうした大学生らの可能性を感じ触発され、県の職員を退職したのでしょうか?

大西さん
退職した理由には二つの思いがありました。一つは、大学生が立ち上げた事業は、当事者は非常に熱い思いをもっているのですが、これを継続させていくのは難しんですよね。ひとつむぎの場合もそのことが予想された、町を巻き込んだ事業を潰すわけにはいかないと。
もう一つは、県庁を退職するまでのキャリアを想像し、これからの人生が面白いか面白くないか自分自身を問い詰めてみたんですよね。自分がワクワクし続けられるか。仮に60歳で退職した後、何か挑戦しようとしても体力や気力は続かないし、これまで大学生たちとやってきたことも消えてなくなってしまいますし。こう考えると、県職員を続けることが考えられなくなりました。

編集者
すごいですね!なかなか簡単に決断出来ることでは無いと思います。

大西さん
やっぱり最初は怖かったです。私は学芸員として埋蔵文化財の発掘調査をやっていたことがあり、研究者で食べていきたいと考えた頃もあるんですよ。

編集者
それは何年ぐらい前なんですか?

大西さん
大学を卒業してすぐの頃なので30年以上も昔のことですね。
数年間で研究者になるのを諦めてしまいましたが、もともと公務員という仕事にわだかまりを持っていましたので。50歳になって若い頃の気持ちが蘇ってきたのかもしれませんね。

中間支援という環境作り

編集者
退職をされてから始めたのがNPO法人牟岐キャリアサポートだと思います。その活動についてもお伺いしたいと思います。主にどういった活動をされているのでしょうか?

大西さん
牟岐キャリアサポートは、大学生たちと行政・学校・地域との中間支援ですね。
学生たちに指導助言したり、関係者との連絡調整をしたり、県外を含む連携先とのマッチングをしたり。

2016年から夏・春の長期休暇中に開催している高校生対象の合宿型セミナー。(ローカルハイスクール スプリングキャンプ・サマーキャンプ)全国各地から地方創生や教育などの分野で活躍するゲストが登場。

牟岐町の地域行事にも参加(2018年町民共楽運動会の様子)。

現在のシラタマ活動の様子。大学生、中学生とも女性優位の状況。地元大学生が中心になり活動頻度を上げている。

今年のシラタマ活動のアウトプットイベント「むぎいろフェスティバル」のテーマ。

大西さん
事業を実施していく上で予算を伴いますが、外部資金などを集めるのも私の仕事です。教育でお金を稼ぐのは基本的に難しいので、助成金などに手をあげて獲得しないといけないんですよね。

編集者
なるほど。こうして大学生らや外部の方たちと一緒に、目に見えるまでにするのがキャリアサポートのお仕事なんですね。

大西さん
そうですね。

編集者
子どもたちが義務教育からは学べないことを学べる場を作っているのが大西さんの役目なんですね。

大西さん
私は教育者ではありませんし、教える技術もないです。上手にファシリテーションできるわけでもありません。ですから学びの環境づくりをしているといったところでしょうか。私はマネージャーに近いので、一緒に走ってくれるプレーヤーが近くにいると嬉しいです。(笑)

教育で関わろうとした時に受け入れてくれた町

編集者
最後に牟岐の良いところをお伺い出来たらと思います。

大西さん
牟岐町の良いところはそうですね…教育に関わろうとした時に教育長をはじめ、すんなりと受け入れてくれた人々がいるところですね、よそ者の大学生たちを温かい目で見守ってくれますし、そうした点は本当に感謝しています。

編集者
そうですよね。何かやろうとした時に周りの人々が受け入れてくれなかったらやりようにも出来ませんもんね。

大西さん
そうですね。だから牟岐で教育に関わろうと決めたんです。

 

大西さんが牟岐町と関わりはじめ、牟岐町へと関わる学生らが圧倒的に多くなったように感じます。
移住者を求めることは町政として非常に重要なことだと感じていますが、大西さんのような方や、大西さんを経由して関わる大学生らのような、牟岐町へと関わりを持つ人が増えることも、町にとっては移住者と同じぐらい重要なのかもしれません。
町を作っているのは人です。こうして多くの人が牟岐町や牟岐町の人と関係していくことで、今日もどこかで新しい企画や、プロジェクト、人と人との繋がりや感動がきっと生まれているのだと感じます。

今回の牟岐人

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大西浩正 (おおにしひろまさ)

NPO法人牟岐キャリアサポート 理事長
NPO法人ひとつむぎ 顧問

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