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自作ピザ窯と牟岐へんろ宿「南天」オーナー 木内ミユキさん

自作ピザ窯と牟岐へんろ宿「南天」オーナー 木内ミユキさん

木内ミユキさん 77歳

牟岐町に移住をされて約5年。旦那さんがお亡くなりになったことをキッカケに牟岐町へと移住することを決めた木内さん。ご高齢の方の移住は「ゆっくりと田舎で生活をしたい」などといった要望が多い中、木内さんは何か目的を持って牟岐に移住をされたのかと思ってしまうほど、活発に動かれています。今回はそんな木内さんにお話をお伺いしてみました。

目の前にあった自然環境を見て「牟岐町で暮らすのも良いかも」と

編集者
木内さんは今牟岐町で色々と活発的に活動をしていると聞いています。もともと牟岐町のご出身なのでしょうか?

木内さん
旦那が牟岐町の生まれで縁がありまして。
私はもともとの生まれは高松で。転々としている家族だったから18歳ぐらいまでは仙台で、そこから結婚して転勤で東京、大阪、名古屋。で、徳島へと戻ってきたという感じです。徳島(徳島市)には10年ぐらい住んでいました。

編集者
なるほど。牟岐町へと移住をされたのはいつ頃なのでしょうか?

木内さん
牟岐町に来たのは約5年前かしらねぇ。旦那が6年前に亡くなったのが牟岐町に移住するキッカケになりまして。

編集者
というと?

木内さん
実は旦那とは20年ほど別居していたのですが、病気を患ったことをキッカケに亡くなる1年前ぐらいに「あと1年ぐらいらしい…」って連絡があって。
私はその時東京に住んでいて、徳島に戻るつもりは全くなかったんですが、旦那の最後をキチンと看取らなければいけないなと感じ、徳島市へと戻ったんです。

編集者
それで牟岐町へと移り住んだんですね。

木内さん
いや、実は旦那は牟岐町には帰ってこなかったんです。
なのでここは(今住んでいる家)そのまま廃屋になっていくものだと思っていたんですが、彼は長男だったのでここで法事をやったんです。
その時に「あれ?この自然に囲まれた環境素敵ねぇ」って感じて、「ここで暮らすのも良いのかも」と思ったのが、移住することになった最初の出来事でしたねぇ。

廃屋になる前に手を入れて綺麗に住まれている木内さん。お庭も綺麗に手を入れており、木内さんという人がお家から垣間見えます。

編集者
え?それじゃあここはもともと空き家だったんですか?

木内さん
そうなんです。旦那の故郷ではあるのですが、帰省で帰ってきたことがある程度でこれまで牟岐町で暮らしたことはありませんでしたしねぇ。

編集者
ここで暮らすのも良いかもと思われて実際に移住される訳なのですが、実際に移住するまでにはどれぐらいの時間をかけられたのでしょうか?

木内さん
1年。私の考えだけで決められるので、移住を決めてからは早かったですよ。
この空き家はどうなっていくんだと親戚も話している中で、私が出来ることをやってみようという思いでしたねぇ。まずこの家に住むためにはお風呂やトイレを直さなくちゃいけないから、そこからでしたしね。

編集者
お風呂やトイレなども朽ちていたんですね。いざ本格的に移住となると簡単ではありませんもんね。

木内さん
そうですねぇ。ただ、それまでは東京を中心とした生活で、その生活が心地よかったところもありましたが、これからの私には東京で暮らしていた時のような時間の決まった生活リズムはもう必要無いかなとも強く感じましたね。

自作ピザ窯とへんろ宿を始める

編集者
ピザ窯とお遍路宿をされているとのことなんですが、それについてお話をお伺い出来たらと思います。

木内さん
ピザ窯はなんとなく作ってみたいなという思いがあって余暇で出来たら良いなと考えていたんですが、負けず嫌いが講じてなんだか本格的になってきちゃいました。

編集者
ピザ屋さんをやられているということでしょうか?

木内さん
いえいえ(笑)。ピザ屋さんとと言うより知り合いや知り合いの口コミで聞いた方々が寄り集まって、知る人ぞ知る(笑)みたいな感じで提供をしているんですよ。

ずいぶんと本格的なピザ窯をなんと自作。「足りないものはアマゾンで揃うのよ」とインターネットも難なく使っている様子でビックリ。

編集者
いつ頃からやられているのでしょうか?

木内さん
昨年の春頃かしらねぇ。これからはこのピザ窯を使って、例えばピザの生地を家族で作ってみたりとかみんなでピザを焼いてみたりとか、そんな体験サービスなんかも提供出来たら面白いのかなとは思っていますが、今はピザが結構評判良いんですよ(笑)

木内さんが生地もトマトソースもご自身で作っている特製のピザ。
お店では味わえない美味しさと、木内さんのサービス精神たっぷりな具ののせっぷりが最高でした。

木内さん
薪に火を着けて窯の温度を600度まで上げなければダメなので、すごく時間がかかるのよ。大体温度を上げるために2時間ぐらいかしら。

編集者
しかしピザもそうですがこのピザ窯、随分本格的な様子ですがご自身で作られたのでしょうか?

木内さん
やり始めたら止まらくなってしまってかれこれ3回も窯を作り直して、昨年の春にようやく完成しましたので、足掛け4年ぐらいかかっちゃいましたねぇ(笑)私こういうのが好きでなんでも自分でやりたくなっちゃう方なんです。
薪はこの家の周り全体に色んな木が生えていたので、それを切って薪にしていますし、納屋も当初ガラクタばかりでひどい状態だったんですが、半年ぐらいかけて綺麗に掃除して。

編集者
えー?お一人でやられたんですか?

木内さん
そうですよ。戸なんかも沢山ありましたし、ガラスも小さく割ってゴミの日に出してってことを永遠とやっていましたねぇ。今やれって言われたら出来ないぐらい大変でしたけどねぇ(笑)

DSC09426ピザを作っている所がガラクタが沢山あったという納屋。
今はそんな面影もなく、ピザ提供のために食品衛生許可まで取得して、非常に清潔な空間となっています。

木内さん
そこから掃除していくうちに2階に泊まれるスペースがあるなということに気がついて。それでお遍路さんが泊まれるようにしようという考えにもなったんです。なので2階は泊まっていただくスペース。1階はピザを作るためのスペースでもあるんですが、お遍路さんにくつろいでいただくスペースとしても使っています。

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木内さん
結構評判良いんですよ。善根宿だって言うからどんな宿かと思ったらすごく綺麗だって。私もペラペラ喋るからお遍路さんもゆっくり出来てないかもしれないんだけれど(笑)

六畳一間のなんだか懐かしい匂いのするお部屋。お遍路さんがゆっくり休むにはとても最適な空間です。
また木内さんが英語とスペイン語にも対応可能なため、外国人のお遍路さんにも最適なのです。

編集者
宿のお名前の「南天」は意味があるのかなと感じましたが、何か意味があったりするのでしょうか?

木内さん
表に南天がいっぱいあるのよ。だから名前を付けたんですけど、南天って「難を転じて福となす」と言われていることからもそうだし、あらゆる意味でマイナスになる意味は何もないなと思って付けたんです。

編集者
あ〜なるほど。今木内さんのお話を聞いて、まさに木内さんがやられていることそのままがこの名前に凝縮されているような気がしました。

木内さん
あらそう(笑)そうなのかもね(笑)

そういえば「南天」って名前をなぜつけたのだろうか?と気になり、お話の締めにお伺いしたわけなのですが、「難を転じて福となす」とは、まさに木内さんに今回お話を伺った際に非常にしっくりきた言葉のように感じました。

木内さんは終始明るく笑顔でお話してくれていましたが、一度も住んだことのない町に住むこともそうですし、空き家を改修すること、そしてそこからピザ窯やへんろ宿を始めるなど、そこには並ならぬ苦労があることは想像に難しくありませんし、それらを始めるために、乗り越えるためには相当な苦労と努力があったのだと理解できます。

それを意識的にか無意識にか?見事に福に変えていらっしゃるのだと感じた今回のインタビューでした。

お遍路やピザ窯、そして木内さんの生き方が気になった方は是非一度訪れてみてはいかがでしょうか?

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今回の牟岐人

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木内ミユキ (きうちみゆき)

徳島牟岐へんろ宿 南天オーナー

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