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『面白いことを一緒にやっていける仲間が居るか居ないか』- 漁師 平岡 丈次さん

牟岐町は海に面した小さな町。そんな町なので中心の産業はなんと言っても漁業。漁港に行けば漁師さんたちがどこかで作業をしている風景が見ることができます。天草を干したり、網を乾かしたり、これからの季節はウツボの干物を干したり。
今回お話を伺ったのは牟岐町東漁協の組合員で、牟岐町漁協青年部の組合員でもある漁師、平岡丈次さんにお話をお伺いしました。

都会に憧れたが、気がついたら海士に

編集者
平岡さんはずっと牟岐町に住まれているのですか?

平岡さん
牟岐町で生まれて牟岐町で育ったけど、一回大阪にいったんかな。都会に憧れて。

編集者
高校の時にですか?

平岡さん
高校を卒業してからやね。漁師になりたくなくて商業科の高校に行って。水産にいかんと。それから大阪に行って就職して。

編集者
そんなに漁師になりたくなかったんですね(笑)

平岡さん
そうそう、水産の高校から推薦も来とったけど断って。簿記の勉強とかしとったよ。

編集者
情報処理とか?

平岡さん
そうそう(笑)

編集者
それで、高校3年間行って卒業して大阪に行ったんですね。

平岡さん
とにかく都会に憧れとったからね。全国に支店のある会社だったけど大阪が牟岐から近い都会だから、大阪で就職の希望を出して就職して。

編集者
大阪には何年ぐらいいたんですか?

平岡さん
2年ぐらい。
それから親父が調子悪いってなったから、会社辞めて一旦帰ってきて。
ほんでそれからやることがないからしばらく遊んどったんやけど、親父に漁師の仕事を手伝わされよって。
そんな事をやっとるうちに自分が漁師の仕事にがっつりハマっとったって感じやね。

編集者
ハマったっていうのは漁師の仕事がやってみたら実は面白かったってことですか?

平岡さん
う〜ん…面白いってよりは最初は嫌で嫌で仕方がなかったけど、ある程度時間の自由が利いたってのが大きいかな。
エビ網(伊勢海老)や夜中やし拘束時間も長いし、朝起きるんも早いし。
ほんで仲間と半日ぐらい時間がずれるから嫌やったんやけど、『流れ子』獲るのが面白くて。

チェック!

『流れ子』とはアワビに似た貝の一種。トコブシとも呼ばれています。アワビよりもかなり小さいのが特徴で、牟岐町でもよく獲れることから流れ子と伊勢海老が特産物ともなっています。
編集者
海士ってことですか?


▲堤防を歩いていると海士さんが潜っている風景を見ることが出来ます。

平岡さん
そうそう。1、2年続けとったらだんだん穫れるようになってきて。それが面白くなってきてな。
仕事も3時間ぐらいで終われるし(笑)
身体はめっちゃ疲れとるんやけど、他の仕事がないから時間に余裕があってそれから始めたのがサーフィンやね。

仲間と始めたサーフィン


▲内妻海岸でサーフィンをする平岡さん。どんな波でもとにかく楽しそうにしているのが印象的です。

平岡さん
波が高かったら流れ子の漁は出来んから仕事は休みで。
仕事が休みの代わりにサーフィンが出来るからってなって、コレは良いなって思うようになってきて(笑)

編集者
そうなんですね!高校生の頃からサーフィンをやっている印象を持っていました(笑)

平岡さん
高校生ぐらいの時に仲間と一回ぐらいやってみたことはあったんだけど、それ以来やってなくて。
高校生の時はスケボーぐらいだったな〜。

編集者
スケボー流行ってましたもんね。ボクが高校生の時も流行ってました。皆でDCのスニーカー履いてシューグーを塗ってオーリーを練習してました。(笑)

平岡さん
その時は全然情報がなかったからやり方とか全然分からんくてな。オーリーってどうやってやるん?とかそんな感じだった(笑)最初はチックタックのスケボーしとったんやけど、親父がグラスファイバーのスラローム用のスケボーをどっかから手に入れてきて、それが面白くてな。

編集者
じゃあその頃って内妻にサーファーは滅多にいなかったんですか?

平岡さん
いや…その時からサーファーはおったよ。
有名なサーフボード職人がおったりしたからその当時からサーフィンは馴染みはあったよ。
ほんで仲の良い仲間も同時期に帰ってきたりしたから、そこで海に一緒に行こうと誘われるようになって、だんだんとサーフィンにハマっていったな〜。


▲波のある週末になるとサーファーでにぎわう内妻海岸。向こうに見える島は出羽島。景色を見るだけでも癒やされる場所です。

漁師として22年

 

編集者
漁師になってからはかれこれ20年近く経っているってことですね。

平岡さん
そーやね。20…21,22年ぐらいになるな。

編集者
漁師として1人前になるにはどれぐらいの時間がかかるものなんでしょうか?

平岡さん
海士の場合やけど、最低5年はかかったんちゃうかな〜。
人並みに穫れるようになるには5年…もっとかかる場合もあるけど5年ぐらいやな〜。
最初の1年目はもう全然獲れんかったからな〜。

編集者
当初、漁師が嫌だった理由ってなんだったのでしょうか?

平岡さん
親父にこき使われそうっていうイメージがあったんよ(笑)
自分が子供の頃に親父はマグロ船に乗っとって、そこから帰ってきてエビ網やりだしてからは『手伝え手伝え』って言われよって、それが嫌やったんよ。

編集者
えー!親父さんマグロ船に乗ってたんですね!
平岡さんは乗らないんですか?

平岡さん
乗らんよ!マグロ船の話を聞くとめちゃめちゃ過酷やけん、絶対乗りたくないわ。
何ヶ月も帰ってこれんし、マグロ船の船頭さんにこの間話聞いたら最近はあんまり日本人は乗っとらんとはいっとたしな。

編集者
平岡さんは牟岐東漁協の組合員ではありますが、牟岐町漁協の青年部の組合員でもあると思います。青年部ではどういった活動をされているのでしょうか?

平岡さん
よくばり体験に参加したり、アワビ祭りに出店したり。
あとは牡蠣の養殖を試験的に一時期やってたりもしたな。育つことは育つんやけど、利益になるぐらいやろうと思ったら今はやれる場所がないってことになって。。

編集者
よくばり体験やアワビ祭りではどんな事をしていたんですか?

平岡さん
子供たちを定置網まで船で連れていって、そこで水揚げする体験とかしてもらったりしとったね。アワビ祭りは屋台を出したりしとったね。今年はイベントなんかがすべて行われなくなったから、最近目立った活動はしていないな〜。


▲数年前のアワビ祭りの様子。牟岐町で毎年5月に行われている恒例の祭りですが、今年は新型コロナウイルスの影響で残念ながら開催出来ませんでした。

牟岐町で穫れる海産物たち

 

編集者
牟岐町では一年通じてどんな海産物が穫れるのでしょうか?
例えば1月から何が穫れるのでしょうか?

平岡さん
1月2月だったらアオリイカとムラサキウニ。
アオリイカは釣ったり定置網で獲ったり。ムラサキウニは潜って獲るな。
ただ2月ぐらいだと仕事しても儲けにはならんからあんまりやらんかな。

編集者
では3月ぐらいになってくるとどうなんでしょうか?

平岡さん
3月15日からは流れ子、アワビの漁が始まるな。
それぐらいの時期になると伊勢海老も動き出すから伊勢海老も狙いつつ、流れ子を6月まで獲ってるな〜。

編集者
伊勢海老もその時期には解禁しているんですね。

平岡さん
伊勢海老は9月15日から5月15日までずっと解禁しとるやけど、寒くなるとエビも動かんくなるからあんまり獲れんのよ。
ほんで流れ子の獲れが悪かったら4月から天草が解禁になるから、それを獲っとるな。

編集者
えー!天草も獲るんですね。


▲時期になると漁港に干されている天草。

平岡さん
そうなんよ!獲ったんよ!流れ子が去年あかんくてな。
ただあんまり色が綺麗なのが獲れんてな。一週間ぐらいで獲るのやめてしまったやけど。

編集者
ボクの勝手なイメージなのですが、天草って全然儲けにならないような印象があるのですがどうなんでしょうか?

平岡さん
全然儲けになるよ。

編集者
えー!めちゃめちゃ意外です!

平岡さん
仕事は大変やけどな。
海の中でむしってきて、引っかかったゴミを取って、ほんで乾かして…

編集者
白くなるまで乾かすんですよね。

平岡さん
あー、そこまではしいへんな。
乾かして俵型に積める機械があるからそれに積んで終わりやな。

編集者
7月以降はどうなんでしょうか?

平岡さん
7月からは赤ウニとサザエが解禁になってそれを獲るかな。
ほんで9月15日からは伊勢海老漁の解禁になるから寒くなるまで伊勢海老獲って。
寒くなると伊勢海老も獲れんくなるから11月12月はアオリイカ狙ってって感じで一年回っとるかな。

編集者
今日もアオリイカ狙いだったんですか?

平岡さん
そうやね。だけど波が高くて定置網がええ具合にやれてなくて全然入っとらんかったな。

編集者
では一年通じて一番穫れる海産物は何になるのでしょうか?伊勢海老ですか?

平岡さん
んー、やっぱ流れ子やね。天草もそこそこ穫れるかな〜

編集者
なるほど。アオリイカや伊勢海老が主流なのかと思っていたので意外です。
ところで今高齢化が進んで漁師さんもかなり減ったと思うのですが、牟岐町だと漁師さんってどれぐらいの方がいらっしゃるのでしょうか?

平岡さん
んー、確実な人数は分からんけど120人ぐらいはおるんちゃうかな〜。
殆どが年配の人やけどな。若い人は数えるぐらいしかおらんくなったな。

チェック!

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編集者
色々とお話ありがとうございました。最後に牟岐町の良いところを是非お聞かせください。

平岡さん
人との繋がりかな。
面白いことを一緒にやっていける仲間が居るか居ないか。それが重要やね。
それは他の場所でも全く同じことだと思うけど。

 

漁師さん全般言えることでもありますが、とにかく気さくという言葉がしっくりくる平岡さん。
今回お話を聞いていた小一時間も、前を通る人たちとのコミュニケーションが絶えませんでした。
どこの町も同じ悩みを抱えていると思いますが、牟岐町でも漁師さんの高齢化が進み、若い担い手が数少なくなってきています。
そのような問題がありつつも、平岡さんのような気さくな方が居たら、まだしばらくは大丈夫なんじゃないかと思った次第です。

 

今回の牟岐人

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平岡 丈次

牟岐東漁協組合員
牟岐町漁協青年部組合員

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